fc2ブログ
てすかとりぽか
その日のアレとかソレとか。
はてなブログに移行しました。
FC2にはいろいろとお世話になりました。

新しいブログタイトルは『泥船てすかとりぽか』です。

http://budoukyukin.hatenablog.com/

こんごともよろしくおねがいいたします。

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FC2が
「FC2」創業者や関連会社を家宅捜索 わいせつ動画配信の疑い

なニュースをみたので、とりいそぎバックアップだけとりにきました。パスワード忘れててあせりました。

まぁ、課金サービスなので、資金決済法に基づくキャッシュバックなしにある日突然サービス停止みたいなことにはならないかと思いますが。一応、「あ、自分のブログってFC2だったよな…」と。

また、暇になったら書くかもしんないので、一応保守しとこっと。

『マイケル・サンデル特別講義 ここから、はじまる。民主主義の逆襲』 目には目を、煽りには煽りを。
マイケル・サンデル特別講義 ここから、はじまる。民主主義の逆襲

史上最大5000人の白熱教室 in 東京国際フォーラム。行ってまいりました。

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マイケル・サンデルの新著『それをお金で買いますか――市場主義の限界』の販促なのか、なんか募集してたんで応募したところ当選してしまったので。とはいえ『ハーバード白熱教室』とか観てて一度はこういうの参加してみたいなーと思ってたんで。そして、できれば議論に参加してサンデルに「君、名前は?」って言われたい。

でも、どうせヤラセなんだろアレ?と正直思ってました。

前もって議論を誘導するためのシナリオがあって、それに沿って手を上げて指名される人もサクラで。でも、全部サクラにしちゃうと怪しまれるから、何人かは普通に手を上げてるひとを指名したりもして。でないと、公共放送で流せるような筋道の通った議論になんかなんねーんじゃーねかな、と正直思ってました。

いやぁ、ガチでした。疑ってすんませんでした。

テレビで放映されてるヤツは当然編集したりカットしたりはされてるんですけど。ちゃんと指名された一人ひとりが言葉を詰まらせつつ、悩みながら言葉を選んで(それも演技だ!と言われればそうかもしれませんが)、予定時間を大幅にオーバーしてまで議論の場を作り上げておりました。

勿論、サンデル側には明らかに誘導したい議論の方向性というものがあり、なかなかその方面に議論がよっていかなくてイライラしてる様子なんかも見て取れて面白かったです。自分、前から2列目に座ってたんで、「生サンデルちっか!」ってそれだけでだいぶ愉しむことができましたですよ。

講義は6月16日(土)と23日(土)にNHKでも放送するそうなので、ネタバレにならないよう伏せておきます。

正直言って、議論としてレベルが高いか?と問われたら、本当まだまだだと思います。放送がニコ動なんかに上がった日にゃあ、自称“識者”や“意識の高い人”がフルボッコにするような内容でしょう。でも、サンデルがやりたいのは“レベルが高い議論”じゃないんですよね。ソレを問うのは講義の趣旨に反します。

本講義の意図は、“できるだけ多くの人が議論に参加すること”になります。

だからこそ、失笑を免れないような意見や、論点を大きく外した意見などがあがってこそ、“インテリじゃない人が議論に参加してこそ”この講義は成功とも言えるのですね。「原発再稼動は是か非か?」を決めるのではなく、誰もが声を上げられるような空気を作ることが、日本の民主主義がなすべきことなのですよー!と

そういう意味では大成功だったと思います。自分が当ててもらえなかったのは残念でしたが。

茶化す気満々だったので、当ててくれなくて良かったと後になって思いますが。例えば「どうしたら若者が選挙に行くか?」という問いに対し、新著の内容に準じて「インセンティブを与えたらいい」と茶化したかったです。うちの地元の選挙では老人に対してはバスと菓子パンとジュースが出てるのは事実だし。

サンデルの指示するコミュニタリアリズム「若者はもっと議論すべきだ」には賛成だけど。そも人口の絶対数において年寄りが多い故に「若者は票数的にマイノリティ過ぎて政治参加による見返りを期待できない」という点と「別に年寄りが政治に関心があるから選挙に行くわけじゃない」って部分は刺しておきたかったです。

あとTwitterで議論しないのは、短順にフォロワーのTLを汚したくないからです。

サンデル的には「TLを汚すのを厭わずに、どんどん政治や原発の議論をすべきだ!」って言うでしょうけどね。自分は既にTwitterもブログも言いたいことぶちまけて汚染物質垂れ流してるからブロックもされまくりですけど。あと、ディスりや煽りと議論の区別つかない人が多いこの国では、SNSでの議論が難易度高いのは確かです。

自分は煽りに対しては煽りでしか返しませんけどー。

あと当ててもらえなかった理由を冷静に判断すると、前の方で目を見開きながら満面の笑みで手を上げる、いわゆる“ハーマイオニー型挙手”をしていたからだとも猛省してます。自分手上げてるのに、目の前にいるサンデルが「他に誰かいないかな?」って言ったのはわりとショックでしたよ。

『稲川淳二の怪談ナイト』 本当に怖い心霊写真の方法
稲川淳二の怪談ナイト

2011年夏のツアーに行ってきました。

自分の中で本当に怖いと思ってるメディア作品は2つしかなくて、1つは『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズ、もう1つは稲川淳二の怪談なんですけど。今回ライブで生淳二の話を聴いてきて、なんとなくその“怖さの理由”の一端を解明できたような気がするので、なんとなくまとめてみようと思います。

「本当に怖い心霊写真とは?」

もうかれこれ19年も続いている会談ナイトの構成は、前半怪談話で後半は心霊写真紹介になっています。この心霊写真紹介に関する部分について、「稲川さんの語る心霊写真はなぜ怖いのか?」という修辞技法を説明するために、まずその論術の構成を下記のように示してみます。

1) 科学的知識に基づく心霊写真のフェイク・トリック例の紹介と否定
2) 画像処理技術に基づく心霊写真のフェイク例の紹介と否定
3) 作為の感じられる心霊写真の紹介と否定
4) 本当に怖い心霊写真
5) 不思議なことがあるもんですね~

上記の論述の詳細を記す前提として、稲川さんによる心霊写真の紹介方法を記しておきます。舞台上の大型スクリーンに写真を映し、状況に応じて拡大しながら、ポインターを手にした稲川さんが“面白可笑しく語る”という形式。この“面白可笑しく”ってのがまず肝で、信頼性の向上に付与する効果があるわけですけど。

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1) 科学的知識に基づく心霊写真のフェイク・トリック例の紹介と否定

まず、今時心霊写真なんて流行らないんです。なぜかって、「心霊写真なんて19世紀の産物。20世紀の初頭には科学的な検証の元、フェイクとトリックによるものという結論が出ている。」ということが、我々の一般常識として刷り込まれているからです。我々は“科学という鎧”によって、容易に心霊なんてものは排除できるのです。

そんな反論は勿論稲川さんは百もご承知。だから、まっ先に“心霊写真の嘘”について語るわけです。

具体的には、フェイクまたは(作為の有無は別として)トリックにより撮影された“自称心霊写真”を見せながら、1つ1つそのフェイクとトリックを“科学的見知に基づき”暴いていくんです。例えば、「白い壁をバックに腕を素早く振って撮影すると腕が消える」なんて話を、論理的かつわかりやすく説明してくれちゃうんですね。

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2) 画像処理技術に基づく心霊写真のフェイク例の紹介と否定

次に、心霊写真に対して我々がもっている疑念のもう一片、「心霊写真なんてホトショ使えばいくらでも」って話も、作例を元に稲川さん自ら説明してくれちゃいます。てか、稲川さん本職は工業デザイナーですからね、当然そういうことにも詳しいわけですが、今はそういう写真が山ほど送られてきて困っちゃうということです。

ていうか、自分も昔ホトショの練習と称して、心霊写真いっぱい作ってました。稲川さんはこうしたフェイクやトリックにより撮影された“自称心霊写真”は当然「心霊写真ではない」として笑い話にしながらも否定しています。この時点では笑い話でも、後でこの布石がワロエナイ結果に繋がるとは気づきませんでしたけど。

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3) 作為の感じられる心霊写真の紹介と否定

とりあえず、1)と2)では「心霊写真は誰でも作ることが出来る」ということと、その判断過程を説明した稲川さん。さて、ここで初めて、“フェイクでもトリックでもなさそうな写真”が登場します。つまり、科学的・物理的にも作り方が解明できず、画像処理の結果と判断するのも難しい写真があるということです。

ここでまず稲川さんが凄いのが、“科学の万能性”をひけらかさない事。科学で解明できる部分とできない部分の線引きというものを十分な知識に基づき持っていて、またソレを論理的に説明することもできるということ。大槻教授みたいに「科学で解明できないことはない!」という、科学に対する盲信は持っていないのです。

しかし、そんな写真すら“作為が感じられる”という理由から、心霊写真とは認めないのです。

“作為がある”を言い換えれば、“この写真は何のためにとったのかわからない”ということです。例えば、“誰かの写真を撮る”という目的はいわずもがな明確ですが、“誰もいない部屋の一角を撮る”とか“ただの窓ガラスを撮る”ということは、そもそもその写真を撮った理由も目的も皆目わからないですよね。

つまり、撮った目的の不明な写真に“何か”が写った場合、“何か”を写すための“作為が感じられる”と。

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4) 本当に怖い心霊写真

1)と2)と3)の過程を経て、我々の心霊写真に関する浅はかな懐疑主義は、更に論理的で潤沢な知識量を持つ稲川さんにより更に理論武装することができました。99%の心霊写真は科学や技術や作為によって説明と否定が可能であることも明らかになりました。もう安心です。どんな心霊写真を見せられても鼻で笑うことが出来ます。

でも、万が一ここで残り1%の可能性を突きつけられたらどうなるでしょうか…。

突きつけて来るんですね、稲川さん…。ネタバレになるから詳しくは書けないけど、多方面から論証を加えてもフェイクやトリックで説明できず、かつ作為的でもなく、かつ物凄いいわくつきであるという写真を突きつけて来るんですね。完全防備を固めたと安心した矢先、その鎧の間隙を縫う“信頼していた味方からの一撃”。

これが稲川さん流の、“本当に怖い心霊写真”を紹介するレトリックなのです。

おそらく、何の前置きもなしに最後の心霊写真を見せられたとしても、普段の我々ならあんまり怖くないんじゃないかと思います。たぶん、「トリックか画像処理がなんかだろw」って言って終わるとこです。てゆか、後から冷静に考えれば、やっぱりホトショで加工できるんじゃない?と思えるような写真だったりします。

でも、会場では完全に稲川さんに精神を掌握されてしまっていたのです。

「心霊写真は簡単に作れる」と自説を補強してくれたはずの人に、あっさりと「この心霊写真は人の手で作られたものではない」と手の平を返されてしまったら、自分はもう何もよりどころが無くなってしまうのです。自分で判断する能力が奪われている以上は、もう稲川さんの言うことを盲信するしかない状態なのです。

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5) 不思議なことがあるもんですね~

稲川さんが本当に凄いと思うのはこの最後。おそらく、他の霊能者なんかの場合、この“未知なる心霊写真”に対して何らかの“理由付け”を行います。いや、他の霊能者の場合、稲川さんみたく“自称心霊写真”の検証なんか一切なしで、単なるカメラのハレーションにすら“理由付け”を行うんでしょうけど。

「これは悪い霊が写っています」みたいな理由付けです。

さらに、「このままだと大変だから除霊をしましょう」とか「うちの宗教にはいりなさい」とか、「この壷を買えば大丈夫」とかやるわけですね。まぁ、“理由付け”のみならず“救済”や“安心”までセット売りしてくるわけです。でも、稲川さんの場合はそんなもの売りません。稲川さんは、ただこう言うだけです。

「不思議なことがあるもんですね~」

投げっぱなしですよ。これが最高に怖いんです。霊能者が「霊のしわざです。」って言うのは病院にいって「風邪です。」って言ってくれるようなもんで、嘘か真かは別にして安心感を与えてくれるものなんです。でも、病院に言って「不思議ですね~」で終わったら全然解決になってないじゃないですか!!

そもそも、心霊の概念(個々人が死ぬと霊になるという概念)が一般的になったのは、日本においては戦中後の話であるとも言われてまして。元をたどれば平安時代の御霊信仰(天変地異や社会の乱れを、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊のせいにする思想)に基づきます。

理不尽で酷いことが起きたら、死んだ奴のせいにしちまおう!って考え方から生まれたのが“霊”なんです。

つまり、霊って言うのは“人を怖がらせる目的”ではなく、“人がよくわからんことに理由付けをして安心する目的”で生まれた概念なんです。そういう意味では、霊能者が心霊写真に対して“霊のしわざという理由付けをする”というのは、“人を怖がらせる”という目的には適っておらず、むしろ安心させてるんですね。

対して稲川さんは、別に霊能者でも霊の専門家でもなく、ただ“霊の話がうまい人”なんですね。

だから、「霊のせいです。」なんて明言はせず「不思議なこともあるもんですね~」とか、「霊のしわざなんですかね?」ぐらいしか言わない。要するに「結論は視聴者にお任せしますよ」って投げっぱなしなんですよね。てか、任せられても結論なんか出るわけない。ただ、“恐怖”だけが“呪い”のように残るわけです。

以上、稲川さんの語る心霊写真紹介の手法説明です。

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#)まとめ

同様のスタンスは「~とでも、言うのだろうか?」の『ほんとにあった!呪いのビデオ』にも。

『ほん呪』がなぜ怖いのか?は昔書きましたが、一言で言うとノイズが非常に多いからです。どっからどうみても安いフェイクとトリックと“なんでもない自然現象”が99%を締める映像の中に、1%の割合で“名状しがたいとてつもなく恐ろしい映像”が混じっていることがあるからです。

あまりにもノイズ内容も酷すぎて、「送られてきた映像テキトーに流してるだけだろ!」的な意味で製作会社に対する“猜疑心”が極限まで薄れている中に、全くどう撮ったのか説明もできないような(フェイクにしてもそんな予算がある製作会社には見えん!)、かつ生理的にウボァーな映像が混じってるとマジで吐きそうになります。

で、やっぱり「霊のしわざだ!」なんて一言も言わず、視聴者に投げっぱなしの“呪い”をかけます。

この“理由付けをしない”という点には、“呪いをかけて恐怖心を煽る”以外にももう1つ大きなメリットがあります。マスメディアや視聴者を敵に廻さないで済むということです。過去、TV番組で「霊のしわざだ!」と明言してきた霊能者の人たちが、結果どうなったかを見れば、ソレは一目瞭然なことですね。

『ほん呪』がロングセラーなのも、稲川さんが19年間もこうした怪談事業を続けて来られたのも、おそらく意識的に「霊のしわざとは明言しない(できない)」という正直さと高潔さがあったからだろうなと思います。その真摯な姿勢は視聴者を惹きつけ、霊の存在を曖昧なものにし、さらに恐ろしい“呪い”を蔓延させるのです。

ただ、今回記したのは稲川さんの恐怖のレトリックの一片、かつ本当に浅い部分に過ぎないと思います。

“怪談”の部分に関しては、伝統芸能としての長い歴史の中で培われたレトリックは数知れずあるでしょうし、“擬音”の使い方なんて落語家も真っ青なハイレベルですし、何より稲川さんの場合は若者やネット上のトレンドなんかも常に注意して取り入れてもいるようですので。

今日聞いた最後の話なんて、2chのオカ板とか流行ってる“意味怖”でしたから。

『2011年3月11日』 の日記
なんとなく、まとめておくべきかなと思って。

この時は事をものすごく軽く考えてて、なんか色々馬鹿だったなーという話。
あと、Twitterって便利だなーって話。ログをみながら、少しづつ思い出していきましょう。

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ひなんしたなう。 via Mobile Web 2011.03.11 15:51

3月11日の最初のツィートがコレ。会社でフツーに会議してたところ、なんかぐわんぐわん揺れだして。30階ぐらいだからもうほんとぐわんぐわん。でも、「揺れるねー。」とか言いながら会議続けてました。館内放送では震度3とのことだったので、ほんと気にせず。隣のビルがまた物凄くブレブレしてて面白かった。

そーこーしてるうちに、滅多に見ない会社のエライさんがやってきて、「全員避難しろ!」とのこと。え、避難ったってどこによ笑と苦笑いしつつも、チーム員の中には本気で逃げる準備万端でブルブルしてる人もいたので、リーダー的には逃がしてあげないとアレだもんで。はいはい、みんな準備できたら出るよー的に避難開始。

今考えると、この日わりと仕事残ってて、遅くまで残業もしてく予定だったんで、事態を軽く見てたというよりかは、半分ムカついてヤケになってたのかもしれないですね。上司の指示だから聞かずに仕事するわけにもいかないですし。ほんと、なんという社畜というか。でも、後からそんな事態じゃなかったと気づくのだけれど。

とりあえず、会社の30階ぐらいから非常階段を降りて外に。以後はチーム毎に判断して行動とのことだったので、否応なくチーム員を誘導。とりあえず、ビルが崩れるようなことはないだろうけど、ガラスが降ってきて刺さるのは厭なのと、一応避難先らしい新宿西口公園の方に移動しました。Twitter見ながら。

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新宿中央公園。人がたくさん。 via Mobile Web 2011.03.11 16:12

まじ人がたくさん。公園の奥の方には入れない…いや、入るのがめんどくさかったので入り口あたりでたむろ。自前のiPhone3GではTwitterにつながらなかったけど、会社支給のiPhone4ではつながるという無駄な発見をしつつも、千葉のコンビナートが燃えてるとか、結構大変な地震なんだなーと徐々に認識開始。

ただ、既にTwitterで家族と実家の無事は確認できてたので、「電話つながんない」とか公衆電話に並ぶとか、そういう心配だけはしないで済みました。それは別にソーシャルネットが凄いという話ではなく、インターネットとはそういうものだということですけど。軍事技術ですから元は。

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チーム員の帰路につくのを確認したので自分が帰路。とはいえ、池袋まで歩くしかない。その前に飯。今日はまだなんも食ってなかた。 via Mobile Web 2011.03.11 17:28

会社から帰宅指示が出たので、とりあずチーム員にも伝達。それぞれ帰路に。まぁ、結局電車動いてないんで、みんなそれぞれ歩いて帰ることになったんですけど…。この時点では、自分もまぁそのうち電車動くだろー程度の考えで、半分酔狂で新宿⇒池袋間ぐら歩いてみっかって感じで歩き始めました。

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都電うごいてる。すげ。 via Mobile Web 2011.03.11 18:40

途中でとん汁定食食べたりしながら、池袋向けて北上中、都電荒川線?がもう復旧して動いてるのを見る。明治通りに入ると、一気に徒歩帰宅者の流れに合流。みんな酔狂だなあと思いつつ、ここらで携帯電話のバッテリーの意外な消費の大きさに気づく。コンビニに入ると、もう追加バッテリーの類は売り切れ。

わりと命綱じゃないんだろうか、携帯のバッテリーは。と、この時点で考えて、早々にバッテリーをもたせるための設定変更を行ったのは、後から考えるとほんと正解でした。液晶の明るさを下げたのと、こまめに電源切るようにしただけだったけど、おかげでバッテリー家までもったし。もとから携帯2台あったおかげもあるけど。

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池袋ついた。川越街道下る。 via Mobile Web 2011.03.11 19:01

池袋についても、電車動く気配微塵もなし。この時点で、「今日中には動かない。」という確信はあったので、会社に戻ればよかったという後悔半分、帰宅困難者になるのは勘弁なので、“徒歩帰宅”という道を選択。わりと新宿からここまでもう5kmぐらい歩いてて足がもう結構ヤバかったんですけど。

“川越 35km"

なんだ、あと7倍か。アハハハハ。

実はこれまで何度かこういう事態を想定だけはしてたんですね。で、地図上で歩いて帰る場合の経路確認なんかもしてはいたんですよ。その想定を生かすのはいつなのか?それは今日じゃないのか?と、もう変なテンションですよ。というか、周囲でも結構な人数が川越街道下り始めてましたしね。案外いけんじゃないのかと。

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大山。 via Mobile Web 2011.03.11 19:52

池袋から3kmぐらいでしょうか。もう早速口数が減ってます。で、相変わらず“川越 32km”とか。全然減ってねえんですよ。足パンパンですよ。こんなことなら途中でチャリ買うんだった。でも、車道も歩道も人ばっかで、チャリだと相当危険じゃないかとも。兎に角、今は足を動かすことだけ考えようと。もうそれだけ。

板橋あたりで、ちょうど自衛隊の基地があって。なにやらすごく慌しく人が出入りしてたのが印象的でした。まぁ、後から考えたら当然この時点でもう自衛隊は東北の現地の状況を把握して動き出してたんだろうねと。この自衛隊の初動の早さは、ほんと素晴らしいと思いました。

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成増。意外といける。あと半分以上あるけど。 via TwitBird 2011.03.11 21:09

前に住んでた街。なにが意外といけるだよ?中二病もいい加減にしろよ。まだ“川越 28km”とかだよ。そして、希望だった駅前のタクシーも長蛇の列だよ。ここでネットカフェに避難という選択肢もあったけど、おそらく満杯だろうという思いと、疲労がたたってコンビニの前に座ってしばらくぼーっとしてました。

ただ、このへんの心境とかは、正直よく覚えてません。気がついたら、埼玉に入って和光市らへんを歩いてました。周囲も、ほとんど歩いてる人はいなくなってて、でも車道は相変わらず渋滞していて、でもタクシーだけはやっぱりなくって。もうツィートもしてないこと考えると、何かんがえてたんだかほんと謎なあたり。

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朝霞のマックで休憩。川越あと19km。半分きた。 via TwitBird 2011.03.11 22:04

街道沿いのマックでコーラを飲んでる自分に気づいて、我に返ったのは覚えてる。そして、コーラすげえと思った。『グラップラー刃牙』に書いてあることは嘘じゃなかった。みるみる恢復、恢復していく。同時に、栄養補給とストレッチの重要性を思い出す。ペースを守らないと、途中で動けなくなって野垂れ死ぬだろう。

このあたりから、休憩を頻繁にとるようになった。朝霞の警察署はこんな時間でも開いていて、フツーにトイレ借りた上に休憩もさせてもらった。どうも、この近辺も停電区域が出てるらしく、警察も大変的な話を婦警さんがしてた。そういえば、街の方は真っ暗だった。他人の心配ができるぐらいはとりあえず元気になってた。

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新座越えたら歩いてる人いなくなった。このへんが閾値なのか。でも、仙台の状況TL見る方が辛すぎる。 via Mobile Web 2011.03.11 22:47

一応、タクシーを捜しに新座駅にも寄ってみた。タクシーどころか、人が誰もいなかった。街道も歩いてるのは自分一人。ただ、バッテリーに余裕がある距離になってきたので、Twitterみながら歩くようになりました。久々に見たツィート上には、東北地方の被害に関して断片的な情報ばかりが賑わっていた。

“○○町で、100人以上の遺体を確認。”

一気に血の気がひく。そんなにデカイ被害が出てるのか…。この時点では、まだ“未曾有の大災害”という認識は全くなく、その“100人”という数ですら、誇張された数字なんだろーなと思いつつも、とりあえず今自分のおかれた状況をどうにかするのでいっぱいいっぱいになっていたみたい。

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埼玉。あたり一帯が停電してて、車の明かりしかない国道沿い。こわっ。 via Mobile Web 2011.03.11 23:46

朝霞、新座は昔住んでたことがあって土地勘があったのだけれど、それ以降は全く知らないところ。なんとか、iPhoneの地図アプリのおかげで、道に迷わずに住んでいるというところ。そんな中、完全に停電している一帯に遭遇。ほんとに、明かりは車のライトだけ。足元も右も左も真の闇。本気で怖いので唄を歌いながら歩く。

曲は「甘き死よきたれ」(英語)。かなり大声で歌ってた。

そして、懐中電灯は常時もっとくべきだと思った。いや、持ってたはず!と、かばんの中をまさぐってもない!まじでこわい!もう、声かけてくれるTwitterの中の人だけが心の頼り!でも、逆に神経は研ぎ澄まされまくって(でないと転ぶしな)、なんか夜目が利くようになって、なんか色々な能力に目覚めた。

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腹減ったのですき家。なんかここだけ電気ついてる。ラフカディオハーン的な。 via Mobile Web 2011.03.12 00:21

なんか、停電してる一帯の中に、ほんと一軒だけポツンと電気がついてる「すき家」を発見。とりあえず、前に食べたとん汁定食から7時間たっておなかもすいてたので寄ってくことにする。とりあえず、店に入って一息つきながら、iPhoneのバッテリー状況を確認。画面が結構埃まみれになっているので拭う。

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マイiPhoneが3パーセント切ったので着信用に封印。会社iPhoneも15パー。会社ドコモはモリモリ元気。via Mobile Web 2011.03.12 00:24

さすがにTwitterをずっと見てたiPhone3Gはここで封印。同じぐらいのペースで使ってたiPhone4はまだ15%。結構、燃費に差があります。会社支給のドコモ携帯は、ぶっちゃけ使ってないので全然元気。そうこうしながら店の席に座っているも、店員が全然でてきやしないですね。もしかしてマジで小泉八雲的なお店ですか?

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すき家だめだもう二度と行かない。そして、まだ腹減ったままあるく。 via Mobile Web 2011.03.12 00:44

店員はいたんですが、なんか前の客の注文を何度も何度も間違えているらしく、一向に注文できるどころの話じゃない。まぁ、なんというか、今思えば「二度といかない」とか言うほどのことでもないんですけど、あんまりここで時間を食っているわけにもいかず、注文しないままお店を後にすることに。腹へったなあ。

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燃料切れおこしたところで風風ラーメンがあった…。たすかった…。埼玉の国道なんもなさすぎだよ…。 via Mobile Web 2011.03.12 01:13

すき家の件で落ち込んだせいもあり、足も動かなくなってきて、ああなんか『はじめの一歩』でよくある的なアレだ名前忘れたけど、アレだ。とか考えながらフラフラ歩いてました。ここまで来ると、埼玉の国道沿いはほんとなにもない。だから、暗闇の中に光る「風風ラーメン」の文字がほんとパライソな感じに見えました。

「油そば」を注文。「風風ラーメン」は、なぜかいつも食べた後に腹を下すので好きくなかったんですけど、これほどうまい油そばは食べたことがなかった。で、偶々となりに座ってたおっさんも、四谷から歩いてここまで来たとか。自分より全然遠いじゃんか!で、さらに自分より遠いとこまで帰るらしい。ひええ。

店を出てしばらく行くと、だんだん見覚えのあるエリアが目に入る。それでも、あと5kmとかあったりするんだけど、もう気分はものすごく楽。逆に、今後のことを考えるようになる。おそらく自宅のあたりも停電や断水が予想される。途中コンビニで何を買っていくべきか、明日は何をするべきか、色々考える。

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家ついたー。9時間はシミュレーションよりかかりすぎた。 via Mobile Web 2011.03.12 02:18

シミュレーションでは6時間で帰れるつもりでしたが、甘かった。まぁ、途中真っ暗だったしなぁ。家の前のコンビニ寄って、当座の飲食品を確保した上で帰宅。自宅は停電してなかったけど、近所は停電してたみたい。テレビをつけて、改めて事の重大さに気づく。と、同時に歩いて帰ってきてよかったとも感じる。

滅茶苦茶疲れてる筈なのに、とても胸が高鳴って眠れたもんじゃなかった。とりあえず、何かあってもいつでも逃げられるような準備をし、逃走経路をシミュレーションし、Twitterを一通り読み直したりしてたらなんかいつのまにか寝てた。それが、自分の2011年3月11日のお話。オチなんかないです。

ただ、この日のことは一生忘れないだろうね。

そういう意味でも、この日自分に起きたこと、自分が考えていたことを日記に記しておくことは、有用だと思います。また、他の人がこの日どのように行動し、何を考えていたのかも知りたいと思います。Twitterだけじゃなくて、文章にまとめておいてほしいです。いつか、きっとまた読み返す日が来ると思うから。




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