てすかとりぽか
その日のアレとかソレとか。
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『挑発するセクシュアリティ』 エロくない
高熱が38度ぐらいの高さなので熱い。

挑発するセクシュアリティ

大学の恩師(といっても授業とっただけ)でもある関修先生が自ら編集され、その一章をも記されているご本。ゲイやセクハラ、同性婚、性風俗にコスプレといった、「性」に関するキャッチーな事柄に対し、法学・社会学的に極めて真面目に、しかしながら挑発的な視座から見つめた論文ばかりを集めて掲載しておられます。

「性的な」っていうわりには全然エロい本ではないです。勘違いしないでね。(書帯を噛みしめながら。)

そもそも、関先生の授業とご本には苦い思い出がありまして。夏休みの宿題として、先生がゲイカルチャーに関して記されたご本を読んで感想文を書くというお題があり。実家でそのご本を読んで感想文を書いた後、その本だけを置いてきてしまったんですけど。後からその本を読んだ母親があわてて電話をかけてきまして。

「いや、違うから。違うから。安心してください母上…。」と何故か電話口でいろいろ否定するハメに。

違うけど。それも違いますよ母上。そういう性的なマイノリティの方々に対して奇異の目を向けるというのは違うと思いますよ?あ、いやだから違うって…とそういうやり取りがその後数年つづきましたが、いまや世間的にもゲイカルチャーが容認されてきたせいか、うちの母親もだいぶ寛容に…いや、だから自分は違っ。

そんなわけで、今作の中で一番目をひいた論稿「性とコスプレ・コミュニケーション」について。

大学のサークルの先輩でもある八島心平氏によって記された本稿は、「コスプレ」という極めて現近代的な自己表現手法とその性質を詳らかにすることを通じて、「性」というフィールドを捉えるという視座が何より興味深いところです。何より、本稿によって語られる氏の言論、とりわけ下記について共感を覚えたのです。

“コスプレとは、自ら着替え続けることで、常に新しいコミュニケーションを夢想し、渇望する行為である。”

「コスプレ」の目的とは、単なる服飾嗜好や性転換願望に機縁するものではなく、キャラクターまたはそれが登場するアニメやゲーム作品に対する、自身の尋常為らざる嗜好を外部にアピールすることである。同時に、その自身と同レベルの嗜好を持つ他者とのコミュニケーションを獲得するための手段でもある。

わかります。自分も10年くらい前にコスプレしたことあるんでわかります。(カミングアウト。)

また、彼らは「対象への嗜好」という根本的な目的および手段を強調するが故に、社会におけるコミュニケーションの媒介として、最も基本的な要素である「性差」を脱ぎ捨てている。厳密には、生物学的な性である「セクシュアリティ」を殊更に強調した衣服を纏うことで、社会的性である「ジェンダー」を放棄している。

生物として、社会としての「性差」を脱ぎ捨てて初めて、「嗜好」だけで他者とつながることができる。

…という話ではないかもですが。自身はそう理解しました。「男女の友情は成立するか?」という命題が存在するのは、「性差が友情の障壁となる」という解が予め用意されているからですし。逆説的に、性差が曖昧な世界においては、純粋に趣味嗜好だけがコミュニケーションの媒介となり得るのではないでしょうか。

そういえば、「ネカマ」って言葉を最近聞かなくなりましたよね。

インターネット以前のパソコン通信の時代から、相手の姿が見えないというネットワーク社会の匿名性を利用して「性を偽る」ことを示す、どちらかというと「蔑称」ではありますが。そもそも、近年では「性を偽る」こと自体があまり問題視されなくなり、ソーシャルコミュニティ上では「あたりまえのこと」にもなってしまっています。

「mixi」で逆の性を記述することはよくありますし、「Twitter」に至っては性を問われることすらないです。

そうした人気ソーシャルコミュニティの発案者が、その「性差を無くすことによる効果」を狙ってやってることなのかどうかは正直わかりません。何故なら、逆に「性差を際立たせること」で集客を目論む、いわゆる「出会い系コミュニティ」も益々もって隆盛を極めておりますし。例のTwitterドラマだって出会い系をアッピルしてますし。

ただ、そのドラマを批判する声は、間違いなく「性差の希薄な世界を望む声」に他ならないと感じます。

少なくとも、現状の「Twitter」に関しては、その「趣味嗜好だけでつながれる世界」が実現されていると自身でも感じています。しかし、既出のネットワークコミュニティの全てがそうだったように、いずれは「生物的な性、または社会的な性を主目的にする人たち」によって蹂躙されていくのは時間の問題だとも思っています。

サービスの目的がユートピアの創生ではなく「ビジネス」である以上、それは必然と言わざるを得ません。

しかし、ビジネスやお金儲けという意図に関わらず、「性を目的にする者によるユートピアの蹂躙」が行われ、問題となることもあります。「出会い目的でコスプレや同人をやる奴」が問題視されるのは今に始まったことではないですが、つい最近の“pixivの出会い系サイト化”なんてのは、まさに「蹂躙」という言葉意外にありません。

“コスプレとは、現代における「ジェンダー・セクシュアリティ」と「コミュニケーション行為」
 を止揚させることができなかった者たちが集う、唯一の「アジール(避難所)なのだ。”

と本稿は締められているように、コスプレにしろTwitterにしろpixivにしろ、社会的な性を捨ててまで築き上げたネバーランドは、所詮は避難所に過ぎません。いつなんどき社会悪に晒されるとも限りません。そして、その力に抗うために、無策であるべきではないと。ピーター・パンは自覚しておく必要はあるのでしょうね。



…ん。なんだか書いてあることと全然違う感想に。先輩ごめんなさいごめんなさいごめんなさ…。

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『南極料理人』 狂気の山脈にて
『タイタンの戦い』がすごくボンクラ映画で好いそうなので観に行きたいけど咳が…。

南極料理人

2009年の日本映画。沖田修一監督。

あらすじ。南極奥地で未知の生物の死体が発見された。世紀の発見に沸く調査隊だったが、折からの強風のため外界との連絡が途絶してしまう。別働隊が調査に向かったが、キャンプは完全に壊滅し、生存者も死体の姿もなくなっていた。ただ、未知の食材をもって調理された、名状しがたい美味を誇る料理だけを残して…。

というネタがぐぐるといっぱい出てきます。みんな「南極」で考えることは一緒なんですね。

でも、ソレも当たらずも遠からずといった話。南極大陸のドームふじ観測拠点(標高3810メートル)という過酷な環境下にあっても、みんな素敵な料理を食べて心も体もほっこり的な、結構ユルいコメディを想像はしてたんですけど。実際ユルいのは最初の方だけで、途中からじわじわと隊員たちが狂気に蝕まれていくのは本当。

一日中太陽が昇らない冬に入り、食料から「ラーメン」が尽きた時点からが、この物語の真骨頂。

外の世界から完全に隔絶された零下45度の世界。ペンギンはおろかアザラシや細菌すら生存できない過酷な環境での越冬作業とそれに伴うストレスは、まさに『シャイニング』よろしく隊員たちの精神の均衡を奪い去って行く。あと400日以上ラーメンが食べられないと知った刹那に見せる、ラーメン好きの気象学者の絶望の顔…。

夜間、厨房に忍び入り黙々とバターを貪り喰らう隊員と、そのバターを毟り返す料理人の確執…。

超長距離恋愛の電話(1分750円)の恋人から別れ話を切り出され、素っ裸で雪原に出て行ってしまう者…。限られた水をシャワーに使ってしまった隊員と、ジャック・ニコルソンよろしく棍棒で彼を打ち殺そうと追いかけ回す別の隊員…。首が…首が正面を向かないんだ…。我々ハ南極迄飯ヲ食イニ来テイル訳デハ無イ…。

そして、第43次南極地域観測隊に端を発する「南極観測第六期五カ年計画」とは?

「第二期ドーム計画」と通称され、過去80万年以上に遡るアイスコアを採取し、第四紀の地球規模の気候と環境変動の実体を解明することを目的にしたという表向きの計画に反し、繰り返される惨劇。氷床深層掘削口から3,028メートルの深淵へと落ちていく、主人公の娘の形見でもある「小臼歯」を通じて語られる真実…。

…ちょっと誇張しすぎました。そんなに怖い話じゃないです。むしろ、ふつーに笑える話です。

いや、やっぱり他人事だから笑えるんですね。少なくとも彼らは笑いをとろうとして、南極までやってきて2年にも渡る過酷な任務をしているわけではないのですから。そんな様子を、嫌味なく淡々と描いているだけでコメディにしてしまうなんて、原作者が凄いのか脚本がいいのかはわかりませんが、誰にでもオススメしやすい邦画です。

ただ、行く前は物心もついてなかった息子(赤ん坊)が、帰ってきたらもう子供になってるってのは軽い恐怖だわ。

『浦島太郎』みたいな説話の例を挙げるまでもなく、今作は「異世界ファンタジーもの」と類似した構造を持つノンフィクションという特異な物語です。しかも海外モノなのに、日本人しか出てこないという面でも、他に類を見ない作品です。こういうテーマを扱ったエッセイは最近多いようなので、もっと映画化されるといいのにねと。

これとか。

『ニュームーン/トワイライト・サーガ』 濡れた犬みたいな匂い
今週は風邪のせいで6回ぐらい死んでしまったけど、ようやく恢復の兆し。
でも、体中が痛い。会社でもイタイイタイ言ってたらなんか笑いがとれたのでまあいいや。

ニュームーン/トワイライト・サーガ

2009年のアメリカ映画。クリス・ワイツ監督作品。
ステファニー・メイヤーの小説『トワイライト』の第二期シリーズ『New Moon』を原作としており、
2008年の映画『トワイライト~初恋~』の続編にあたります。

前に『トワイライト~初恋~』を観たときの感想(コレ)にも書いたけど、異様に『少女コミック』的な物語というか。

どこにでもいるちょっと内気な女子高生ベラにも素敵な彼氏ができました!!しかも、彼の正体はヴァンパイアだったのです!!でも、些細な心のすれ違いから、彼氏のエドワードは彼女に別れを告げ、いくえ不明に!!抜け殻のようになってしまったベラに、今度は幼馴染のジェイコブが急接近!?ベラの恋のいくえは!?

純愛のヴァンパイアラブストーリー第2弾!!

だいたいそんな感じの物語です。エクスクラメーションマーク多っ。でも、正直前作のようなB級映画色はだいぶ影を潜めまして、だいぶちゃんとしたまともな恋愛劇に仕上がっていたのには、良い意味で裏切られました。前作でいう「僕は世界で一番危険な肉食獣…。」みたいなアホ台詞まで無くなっていたのは残念ですけど。

そして、今回は白塗り(エドワード)は早々に退散し、きんに君ことジェイコブがメインターゲットとなります。

ベラは彼氏の白塗りを失った寂しさを紛らわすため、幼馴染のジェイコブに接近します。そして、ことあるごとに「すごい筋肉ね?」とか「ステロイドは体に良くないわよ?」とか「それにしても、すごい筋肉ね?」と彼の筋肉についてばかりつっこみを入れます。ちょっと、もっと他の話題にも触れてあげてよ…。

まぁ、彼の売りは女性視聴者に向けたソレなんで。後半ずっともう「特に理由もなく上半身裸」だしね。

んでも、このジェイコブが本当にいいやつなんで…。どのみち100%絶対にベラが彼とくっつくことはないとわかってしまっているので、ベラに対する一途な想いの報われなさがなんとも悲しいのです…。それ故に、これは野郎が観ても十分感情移入できる作品になっているんですね…。ジェイコブかわいそすぐる…。

終にはベラの女友達から「なんか濡れた犬みたいな匂いがしない?」とまで言われてしまうジェイコブ…。

いや、確かに自分が昔飼ってた犬も、いつも濡れたビタワンみたいな匂いがしてましたけど…。それって人間に対する形容の手段としてはいかがなものでしょうか!?…え?彼も人間じゃない!?あー、そーですか了解しました。どうやら、ベラさんはどうも人外好かれする星の元に生まれついているようです。

毎回主人公がいろんな種類の人外に好かれて回る『俺の空』みたいな話なんですね。

あと、本作最大の売り(だと思うよ?)は、かの超名子役ダコタ・ファニングが成長した姿で出演しているという点。マコーレー・カルキンにしても、エドワード・ファーロングにしても、「ハリウッドの名子役に将来なし」と言われてる点からしても、何とかダコタ・ファニングぐらいはまともに育っていて欲しいと思うファン心理…。

あー。あんま変わってなかったダコタ。背は伸びたけど顔とかまだ子供ダコタ。

でもまーブクブク太ったり覚せい剤に手を出したり既に事業に失敗してたりはしてなくて良かったなー…と思ってたら、ものすごいチョイ役でした…。ちょっと、まだ二言三言しかしゃべってなかったですよね?カメオ出演ってレベルですよね?確か、「悪役として主人公たちの前に立ちふさがる」的な、ラスボス的売り文句でしたよね?

ダコタダコタ詐欺ですよねコレ?

いやでも、もう三期目も映画撮ってるし、小説はもう第四期まで出てるって話なので、今後も楽しみなシリーズです。アメリカでは十代の少女から絶大な支持を受けている作品なので、きっとグインサーガみたいに100巻以上続く大長編サーガになってくれることでしょう。そしてエドワードの白塗りは回を負うごとにどんどん濃く。

『アイ・アム・レジェンド』 パーティメンバーがいません。
会社を早退してきました。

先週末は、自分をのぞく家族全員がヨーレンキンとかいう未知の病原体に感染してしまったため、その看病やらなにやらに追われていたのですが、なんか今日会社に行ったら自分も何やらイガラっぽい。周囲の仕事が佳境に入っている中、感染拡大だけは避けなければと早々に退社して医者通いしてきたわけなんですけど。

自分は何にも感染してませんでした。風邪薬とトローチだけもらってきました。

もしかして、自分は昨日テレビで観た映画のウィル・スミスと同じ、特別な抗体を持った存在なのではないでしょうか。アイムレジェンド的な存在なのではないんでしょうか。そういう中二病的な妄想にとりつかれながらも、風邪をひいていることには変わりないことを思い返し、スーパーで豚肉とレタスを買って家路についたのです。

アイ・アム・レジェンド

2007年のアメリカ映画。フランシス・ローレンス監督。

その、昨日テレビでやってたソレの。とりあえずの所感としては、タイトルが好くないです。ウィル・スミス主演でこのタイトルだと、人情ものだか政治ものだかクライムサスペンスものだかもわかりません。よもや、こんな素晴らしいB級SFだとは夢にも思いませんでした。だから、今まで完全にスルーしてしまってたのです。

原作小説の原題だとは後から知ったけど、だったら邦題『地球最後の男』の方が良かったんじゃと。

「いや、お前様はなんにもわかっちゃいねえ。そもそもこの作品のSF的な立ち位置の重要性は…」云々と、SF好きの人からは怒られるのかもしれませんけど。とりあえず、自分的には、ウィル・スミスが出てくる時点で既にもういろいろアレなのに…ねえ?という感じで全然興味なかったんですが、実際観てみたら普通におもれー。

原作小説の邦題どおり「地球で最後の人間」となった主人公のソロっぷりがパネぇ。

「今日、実は俺の誕生日なんだよ。」
(パーティメンバーがいません。)

かつて、似たような状況を描いた作品はいくつかありました。『ゾンビ(旧ドーン・オブ・ザ・デッド)』然り、『ドラえもん のび太と鉄人兵団』然り。それらは、悲観的な状況の割には楽しそうに描かれていたんですよね。どっちも、大型スーパーで好き放題買い物したりして。今作の主人公ももっとこの状況を楽しんでいいと思うんですが。

「一度でいいから、ハムを丸ごと一本食べてみたかったんだぁ~!」
(パーティメンバーがいません。)

…無理ですね。『ゾンビ』とかはそれでも仲間数人で生き残っているから好いんですが、ほんとに独りになっちゃうともうどうしようもないんですね。自分だった発狂してますね。川越銘菓「発狂くん」ですねまじで。一応、本作は犬も一匹生き残ってはいましたが。その犬、サムも吸血鬼どもの手にかかって…。

「サァァァァァーーーーム!やべえ許せねえ!こんな話書いた脚本家絶対許せねええええ!!」
(パーティメンバーがいません。)

自暴自棄になった主人公(なるよね。)、ベルセルクモードで夜の街に繰り出し、吸血鬼どもの群れに車で突っ込んで轢き殺しまくります。まさに『デッドライジング』状態です。「ウィル・スミス無双」です。「歩道が広いではないか・・・行け」「ほ、歩道~~?仕事帰りの人があふれていますよォォォ」「関係ない 行け」です。

このシーンだけでもトレイラーに入れてくれたら、絶対劇場で観てたんだけどなー。

そんな、ウィル・スミスも車が横転して大ピンチ。迫りくる吸血鬼の大群。そして、後は本当に予測通りの展開。というか消化試合。めでたいようなめでたくないようなラスト。なんかどうも、ラストシーンは2パターンあるみたいで、テレビ版はつまんない方のラストだったんだとか。まぁでも、途中までが最高の作品でした。

話は変わりますが、その昔『ダークアイズ』という初の国産MMORPGがありまして。

自分は学生の頃にその開発会社の別の部署でバイトしてたんですが、色々酷い状況だけは聞いていまして。何でもそのサービス最終日ですら、同時接続者が数人しかいなかったらしくって。その最終日に、広い世界を探索して、「他のプレイヤーに出会えた時の感動」を書き綴ったサイトを観て笑い話にしてたんですけど。

その感動って、今作の主人公と同じ、言葉にできないような物凄い感動だったんだろうね。

『第9地区』 ラストシーン考
※ラストシーンに関するネタバレを含みます。鑑賞後に読まれることをお勧めいたします。

第9地区

2010年のアメリカ映画。ニール・ブロムカンプ監督。

とりあえずの所感。
"第1回 『第9地区』 ネタバレなし"

物語の概要説明とそれに対するつっこみ。
"第2回 『第9地区』 暗黒E.T.神話"

と、既に2回に分けて感想を書いてきたわけですが、まだまだ全っ然語り足りなくって。鑑賞後もあれやこれやどんどん想像が膨らんで悶々とした日々を送っておりました。そういうわけで、第3回は物語に秘められた様々な疑問について考察を加えてみたいと思っています。考察というか、ただのぼやきに近いものですけど。

そもそも、「エビは何しに地球にきたんだろう?」と

遭難したにしたって、あんな強力な武器作れるんだから、恒星間航行ができる技術力があるんだから、どうにでもできそうなもんじゃんかと。でも、難民と化した後も彼らが武力を行使しなかったことを考えると、決して侵略戦争目的で来たわけじゃないんだろうなと。武器だって猫缶と交換しちゃってたしね。

いや、でも星新一的な考え方をすると、これも彼らなりの「優しい侵略」方法とも思えてきます。

美しい植物(でも決して枯れない)をプレゼントしたりするみたいな、変化球の侵略手段なんじゃないのかとも思えてきます。実際に、彼らが着実に人口を増やしているという状況説明で締めくくられてもいますし。また、その目的も、移民というよりは「棄民政策」のようにも見えてくる要素もあります。例えば…

…とか、考えているうちに、実は自分の中で考えが大きく変わってきまして。
このエビの目的や動機を考えること自体、なんだかひどく無粋なように思えてきたのです。

そもそも、エビの目的とか生態系に関することは意図的にわからないようにしてますよね。というか、わかるわけないというのが正しい。宇宙人のことなんだから。もしかしたら、趣味で遭難しに来たのかもしれないし。でも、それをナンセンスと考えるのは、あくまで地球人のコモンセンスに照らし合わせた場合の結果ですし。

「エビを理解させないこと」=「異文化に対する理解の難しさ」を直に表現してるんではないでしょうか。

そういう製作意図を想定できてしまった時点から、エビの動機を深読みすると…とか、勝手に想像を膨らませることが非常に無粋な行為に思えてきてしまうのです。そもそも、その「相手を自分の常識に当て嵌めて理解しようとする」こと自体が、結果として差別や争いを生むのではないか?という問題提起とも読み取れます。

例をあげるなら、隣国には「犬を食べる」という文化がありますよね。

自国や西欧諸国の常識に当て嵌めて考えるのであれば、犬は知的で従順な動物だから、食べるなんて非常識と思うでしょう。しかし、隣国では、滋養強壮、精力増強、美容に良いとし、古来から犬食を「習慣」としてきました。その習慣を本気で理解し、じゃあ今日から犬食べますって自国民はおそらくいないと思います。

むしろ、嫌悪感を及ぼし「文化的に劣っている」と卑下する人も多いのではないでしょうか。

でも、自分が他国の文化を卑下するのはいいけど、自国の鯨食文化について他国から卑下されるのは許さんと。結局、「相手を自分の常識に当て嵌めて理解」しようとしても、うまくいかないんです。じゃあどうすればいいのか?単純に「相手とは持っている常識が違う」ということを理解し、尊重してあげればいいだけです。

異文化への理解とは、相手の考えを理解することではなく、相手との違いを理解し尊重することなんだと。

「俺んとこは鯨なんか食わないんだよ。だから、お前んとこも食うな!」って、自文化への同調を求めるんじゃなくて、「お前のとこは食べるんだよね。まぁ、そういう生き方もあるよね。俺は食べないけど。」という、他文化を尊重するって考えが前提になって、はじめて異文化への理解ってできるもんじゃないんでしょうか。

…ってことを言いたいがために、意図的に「エビのことを理解させないように」してるんだと考えました。

…と。実はここまでが前置き。ほんと長くてすみません。つまるところ、「エビの常識は、我々地球人の常識とは違う。」という前提でもって、あのラストシーンを見直してみると、より一層あの場面の深みが増してくるんですよ。おそらく、ヴィカスもそれを理解し尊重した上で、最後の決断に出たと考えちゃうともう…。

「あいつら、戻ってこねーんじゃねーかな…。」

「戻ってこなかったら、そらーもう“仁義”にもとりますわな!許されへんことやわな!」…っていうのは、ものすごく地球人的な(しかもごく限られた文化圏における)常識だと思います。そもそも、来た理由がわかんねーのに、また戻ってくる理由なんかもっとわかるかって。(最後のインタビューでもそれを示唆する発言はありますが。)

おそらく、ヴィカスはその不確定要素について覚悟ができているんですね。それを思うと、涙がもう…。

もし、ヴィカスが「彼らは絶対に帰ってくる」と確信していることを示す描写がわずかでもあったのなら、ここまで感動的なラストにはならなかったと思っています。「返ってくるかどうかはわからないけれど、でも彼らの選択は尊重したい。」、「厭なら帰ってこなくてもいい。」そんな彼の想いこそ、真の異文化理解ではないんでしょうか。

そして、何よりその不確定要素への覚悟にも関わらず、妻への愛をも忘れずに貫いているんですよ…。

なんという、美しいラストシーン。ほんと、この脚本書いた人(監督だけど)は神様だと思いました。
願わくば、この不確定要素を確定づけてしまうような続編は作ってほしくないです。
まぁ、もう『第10地区』やるって噂が出てるみたいなんですが…。

『第9地区』 暗黒E.T.神話
※このページには作品のネタバレを含みます。できれば作品鑑賞後にご覧ください。
※このページは筆者の貧弱な記憶力に基づく内容のため、実際の内容と齟齬がある場合があります。
※別に観る気ねえから。って人は何も気にせずご覧ください。ご覧くださらなくてもいいです。

第9地区

2010年のアメリカ映画。ニール・ブロムカンプ監督。

ネタバレありはDVDが出てから書くと言っていたのに、他の人を批評を見ていたら結局あれこれ考えてしまったので。ていうか、他のみなさんすごく真面目にこの作品を観ていて吃驚です。南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)やパレスチナ問題を風刺した、寓話的社会派ドラマだとか考察してる人が多いみたいです。

製作P・ジャクソンによる悪ノリ全開の“暗黒『E.T.』神話”だと思ってた自分はどうやら異端なのかも。

軽く物語をなぞりますと。ある日とつぜん、南アフリカ共和国のヨハネスブルグ上空に現れた巨大UFOには、疲弊しきった異星人たちがたくさん乗っていました。どうやらUFOは故障しているらしいので、地球側は「人道的支援」の名の下に彼らを地上に降ろし、隔離地域を設けて住まわせることにしたのでした。

ちなみに、ヨハネスブルグの治安の悪さについては"ヨハネスブルグのガイドライン"をご覧ください。
(例:中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。一度襲われてまた襲われる確率が50%の意味。)

この物語の舞台は、そんな「第9地区」ができてから20年が経ち、「エビ」と呼ばれる難民エイリアンと市民との軋轢も強まった時期のお話。居住区は完全にスラムと化し、彼らも街中でゴミを漁り、盗みを働いて生活するような状況。中にはいたずらに電車をひっくり返して市民を困らせるエビも出てくる始末。

E.T.もアメリカじゃなくて、大阪の西成とかに落ちてきたら、きっとこうなってたに違いないです。

当然、市民も彼らの排斥運動の機運を強めていきます。あんな奴らは追い出せ!エビに人権なんか存在しない!と。まるでドキュメンタリー映画のように辛辣な描写は、同じ南アで行われた人種隔離政策と被ってか妙に真実味があります。これは確かに悪ノリ映画ではなく、ちゃんとした社会派作品にも見えるかもです。

否。断じて否。ここは笑うところですよ。ありえねーから。エイリアン映画に人権問題とかありえねーから。

そして、スラムにつきもののギャングの暗躍。ナイジェリア人のギャングたちは、エビたちに食料っていうかキャットフード(笑)を与え、売春を斡旋(笑)することと引き換えに、彼らの持つエネルギー兵器を手に入れ始めます。その兵器は結局人間には扱えない代物であるにも関わらず。エビ達も滅茶苦茶ボッタクられてますけど。

エビ「パワードスーツ、猫缶1万個でどうだ…?」
ギャング「1万は無いな。猫缶100個だな。」
エビ「い…今すぐもらえるのか?」

そんな中、地球側もエイリアン対策会社「MNU」を使って、エビ達を強制収容所送りにしようと画策します。この計画の責任者に任命された主人公ヴィカス。エビの家を一軒一軒回って「立ち退き書」にサインをお願いしていきます。「コンコン…ごめんくださーい!」「…何か?」ってエビが出てくる場面がもうシュールすぎて腹筋崩壊。

でも、ヴィカスの後ろにはアサルトライフル構えた兵隊がいて。
素直にサインに応じず、逆らいでもしようなら射殺。
どんな『闇金ウシジマくん』だよっ!!

そんな調子で、『凸撃!隣のBAN御飯』を続けるうちにヴィカスもどんどん悪ノリしていき。エビの卵から栄養管を抜きとっては「中絶してやったぜ!」とか、火炎放射器で家を焼き払う様はまさに「汚物は消毒だ~!」と、順当に死にフラグを蓄えて行きます。そして、とあるエビが隠し持っていた謎の液体を顔に浴びてしまい…。

因果応報とはいえ、ここからは聞くも涙語るも涙のヴィカス阿鼻叫喚パニックシチーライフ…。

まぁ、後の話は実際映画を観ていただくとして、色々気になった点について。まず、エビの子供が可愛いすぐる。完全に人外のバケモノなのに可愛い。この既視感は、まさしくP・ジャクソンが『ブレインデッド』の赤ちゃんゾンビや『ミート・ザ・フィーブルズ』の暗黒セサミストリートで魅せた「グロかわいい属性」に違いありません。

エビちゃん、海老蔵につづいて、エビバーガーのCM出演も夢じゃありません。

先日書いたように、一番似ている映画が『バッド・テイスト』だってんなら。今作は、P・ジャクソンによる自身の集大成ともいえる作品なんではないでしょうか。しかも、『ロード・オブ・ザ・リング』とか最近のソレではなく、それ以前のB級マニアック映画製作者としてのP・ジャクソンによる、王政復古の大号令ではないんでしょうか。

まさに、B級映画王による『王の帰還』なのではないでしょうか!!

あと、個人的に一番好きなシーンは、当然パワードスーツ…ではなく、その圧倒的強さと防御力を持つパワードスーツを、地球側の武器が放った一発の銃弾で膝まづかせるシーン。一瞬だけど、画面に映ったその御姿はバレット・ファイアーアームズ社製の50口径アンチマテリアルライフル(対物狙撃銃)ではありませんか!?

『ロボコップ』の悪役クレメンス一味がもってた「コブラ砲」って言った方が通じますかね。

自分がゲームの『MW2』で砂やる時にはもうこの銃一択でした。だってかっこいいんだもん。(弱いんだけど。)というか、今作は何気に登場する武器の種類が多彩で、ミリタリ映画としても十分楽しめます。撃たれた方の人体破壊描写も、これまた「人体破壊ギャグ」のパイオニアでもあるP・ジャクソンの妙技が光っております。

そして何より、あの素晴らしいラストシーン。考えうる限り、あれ以上の好いラストはないと思います。

ヴィカスが無事目的を果たす、または死ぬ。様々な結末を予見させつつ、導かれた選択は完全に自身の涙腺を破壊。なんだよこれ…悪趣味全開糞うんこ映画じゃなかったのかよ…。これが、オスカー最多受賞作品監督を経て大成したP・ジャクの本気なのかよ…。とんでもない映画観ちゃったよ…。ほんとマジで…。

そう思ったのが自分だけはないということは、鑑賞後のツイッターに溢れる他者の呻きからも感じ取れました。

自身がツイッターを初めてまだ3か月も経っていませんが、今作ほど鑑賞後に感情を抑えきれず、なかばお祭り状態になる人が多かった劇場公開作品を他に知りません。一般的な評価は同日封切の『シャッターアイランド』の方が高いにも関わらず、自身の周囲は『第9地区』に関するコメント一色に染まっていました。

そんなお祭り騒ぎの中、あのラストは幾ばくかの「?」を残していることにも気づかされました。

その「?」に関しては、今日1日ずっと考えてはみて、なんとなく答えがまとまってきたようにも思います。んでも、今日の日記は既に長くなりすぎてしまったので、続きはまた明日以降書きたいと思います。まさかの感想日記三部作です。トリロジーです。まー、映画感想文300本記念としてお許しください。

※以下、2010年4月17日追記。

というわけで、感想の続々編“『第9地区』 ラストシーン考”掲載しました。
今度こそ確実にネタバレ含みますので、絶っ対に映画観てからみてください。

『第9地区』 ネタバレなし
第9地区

2010年のアメリカ映画。ニール・ブロムカンプ監督。

とりあえず、今回はネタバレ一切なしなのでご安心を。

朝一で観てきたばかりで、まだ興奮冷めやらぬ状態です。正直、何から書き始めたらいいのか見当もつきません。ストーリーに関しては、何を語ってもネタバレになりそうですからね。とりあえず、鑑賞直後の自身のツイッターの恥ずかしいログをそのまんま載せることから始めてみましょうか。

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やっべ、最ッ高だよPJ!! [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

動悸と手の震えがおさまらない…。まちがいないのは、ピーター・ジャクソン監督の最高傑作を今さっき更新してしまったということ…。自分の中でだけど…。 [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

いーやまてまてまてまておちつけ。おちつけ自分…。自分の発言には責任をもて自分おちつけ…。そこのスタバでラテでも買ってのんでおちつけ…。 [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

1.2.3.5.7.11.13.17.19.23.29.31.41… [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

深呼吸 [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

あっ!そうか!プロデューサーかっ!?助かった!!助かった!?何から!? RT @Aさん 監督はPJじゃないですよね! と水を差してみるテストww ぶどうさんの興奮が伝わってきました。いいなぁ、私も早く観たい! [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

お…おちついてきましるた! スターバックスコーヒーなう! RT @Iさん おちついてええ!! [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

いや、だって。PJ監督最高傑作ていったら自分の中では『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』なんで…。それを更新することが自分にとって何を意味するかというと…。マイフェイバリット映画作品の更新てことですよ!? [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

そんな人生の記念日を今日みたいな日に決めてしまうのは流石に悩ましい。何より今後「一番好きな映画何ですか?」って聞かれた時、コレって答えたら殆どの人との関係がその時点をもって終了するおそれがあります。 [約2時間前 TwitBird iPhoneから]

とりあえず、お昼ご飯はステーキ買って帰ります。 [約2時間前 TwitBird iPhoneから]
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え、えーと。どこからフォローしようか…。

まず、公式サイト見たら、P・ジャクソン「製作」じゃねえかよ!何が「あっ!そうか!プロデューサーかっ!」だよっ!知ったかぶってんじゃねーよ!何が「子供の頃からP・ジャクソン監督のファンなんです~♪」だよっ!恥を知れ恥を!いやでも、事前に何も情報入れずに行ったもんでほんとすいません。

でも、正直まだ「一番好きな映画」と認識しそうな勢いは残ってるんですよ本当に。

何せ、エイリアンにミリタリーにスナイパーにロボットにドキュメンタリーにギャングに呪術にバカにグロに血に肉片に内臓に汚物に家族愛にと、自分が好きな映画の要素が全部詰まってます。過去こんな充実した映画は一本たりともない。強いて似てる映画をあげるとするなら、P・ジャクソンのデビュー作『バッド・テイスト』。

"『バッド・テイスト』(きまぐれムービーシアター)"

『バッド・テイスト』は10年以上前に観て度胆を抜かれた作品ですが、当時はこの監督(出演も)が、当時から好きだった『指輪物語』の映画化を成し遂げ世界的なヒットメーカーになってしまうとは夢にも思いませんでしたよ。今作も序盤からこのノリですっとばして来るんですね。劇場で腹かかえてヒーヒー笑ったのは何年ぶりでしょうか。

逆に、上記サイトの『バッド・テイスト』の解説を観て笑えない人は、今作は絶対観ない方がいいです。

実際、前の席に20才ぐらいのカップルがいたんですけど。まぁ、一見『アバター』みたいなSF超大作に見えなくもないから、そのノリで観に来ちゃったのかもしれませんが。途中で彼女の方が半分泣きながら「もーやだー…かえろー…かえろー…」って言いだしちゃって。でも、彼氏は頑として動こうとしない。格好いい。

あ…。もしかして、そういう羞恥プレイなんだろうか…。
(そんな彼女の方も、終盤では画面に魅入ってましたけど。)

とにかく、カップルで観に行っていい映画では絶対にないことは確かです。ただ、家族愛という部分に関しては、そんじょそこらのヒューマンドキュメンタリー作品なんぞ足元にも及ばないぐらい深く重くクるもんがある映画なので、P・ジャクソン氏は『ロード・オブ・ザ・リング』を経て、とんでもない化物に成長したなーと痛感しています。

だからといって、ファミリーで観に行って好い映画ってわけでもないですからねっ!!

兎に角、今はこれから観る人のことを考えて、押し黙っておこうと思います。ちゃんとした感想やつっこみは、DVDが出てからにとっておこうかと思います。正直、つっこみどころ満載で、つっこみたくてウズウズしてるんですけれどね。夜中に酒飲みながら友達と一緒に観る映画としては間違いなく「マイフェイバリット」になりそうです。

※以下、2010年4月12日追記。

そして、結局DVD化を待てず、感想の続編“『第9地区』 暗黒E.T.神話”掲載しました。
今度は微妙にネタバレ含みますので、絶対に映画観てから観てください。

『サマーウォーズ』 一億総サブカル
サマーウォーズ

2009年の日本のアニメ映画。細田守監督作品。

『時をかける少女』の監督さんなので興味はあったのですが、「スーパーハカーがバーチャルワールドの危機を救う」という、なんとも個人的に好きになれそうにないストーリー概要を聞いて劇場公開時も敬遠してしまっておりましたが。DVDが出て以降聞く意見が「超おもしろい」と「糞ツマンネ」のほぼ二択なので観てみました。

率直に感想を述べますと、滅茶苦茶面白かったです。

絵がキレイとかよく動いてるとかは別にしても、予想以上にバーチャルワールド(以下「仮想世界」と表記)に関する描写が掘り下げられていて、予想以上に「田舎の大家族」に関する描写もリアルで。その本来関連なさそうな2つのコミュニティを相互に行き来しながら、テンポよく収束していく物語に惹きつけられっ放しでした。

ただ、「この映画が嫌い」という人のキモチも、なんとなくわかりました。

一般人に向けて売ろうとしている映画にしては、いかんせんサブカル臭が強すぎます。まぁ、仮想世界というサブカル極まれるテーマを選択してる時点で、その臭いをさせるなってのは無理な話なんですけれども。一般人でもオタクでも、毛嫌いする人多いですからね、そういう立ち位置が微妙な作品って。

なんせ、世界設定が「一億総サブカル化した日本」ですからね。

いやもう日本に限らず、世界中の何億と言う人間が一つの仮想世界に接続し、そこで買い物やコミュニティを持ちつつ、生活インフラすら依存する世界だなんて。ユートピアSFとして観ても、発想が現実からかけ離れすぎてますからね。そいでまた、その世界のデザインがまたサブカル好きしか喜ばなそうな感じだし…。

そもそも、一億総ってなった時点で、サブカルチャーじゃないですよね。メインカルチャーですよね。

じゃあ、この世界におけるサブカルって…。自分のサブカルに関する認識がややずれてることを承知で言うなら、本来の世界において、多数派(非オタク)が支持する文化にあたるわけですね。音楽で言うなら、エグザイルとか倖田來未あたりでしょうか。ケータイ小説読んで「超なける~!」って言うのもサブカルですね。

映画館から「ジョニデ最高~!」って言いながら出てくるのが、サブカル少女たちなわけですね。

そして、この世界における国民的RPGと言えば『真・女神転生』。小学生はみんな『デビルチルドレン』で遊んでて、600万本以上売れてます。アトラスはゲームソフトの世界シェア25%を占める超優良企業で、ハードではセガの『ドリームキャスト』が全盛。任天堂なんかただの花札作ってる町工場レベルですよ。

もちろん、政権与党は共(自主規制)。

そんな対抗文化大逆転な仮想日本で繰り広げられている物語として観てしまうと、面白くないわけがないんですけれども。逆にあんな感じの仮想世界マンセーな世の中は未来永劫訪れないだろうってのが、ここ数年の間にはっきりしちゃったのは悲しいお話ではあります。仮想世界はもうずっとサブカルなまんまです。

だって、インターネットで十分なんだもの。

仮想世界の特徴と謳われる「3次元空間とアバター」について、社会生活上における必要性と合理性を証明できない限り、仮想世界が産業としてのスタートラインに立つことすらありえません。事実、一部の業界ゴロが食いものにしているような虚業としての実態は、自身が仮想世界をテーマにした作品を毛嫌いする一因です。

『邪悪なものの鎮め方』 超能力は実在する
光が丘公園でお花見してきました。

成増に住んでた頃にたまに行ったことがありましたが、花見の時期なのでもう光景が一変。人、人、人でごった変えしておりました。ここまで人口密度が高いイベントに参加したのはコミケ以来な気がします。あまりに人が多くてドミノピザの人も場所がわからず、入口まで客に取りにこさせていました。でも、楽しかったでした。

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邪悪なものの鎮め方

内田樹著。"「邪悪なもの」と遭遇したとき、人間はどうふるまうべきか?どうしていいかわからないけれど、何かしないとたいへんなことになる極限的な状況で、適切に対処できる知見とはどのようなものか?この喫緊の課題に、ウチダ先生がきっぱりお答えいたします。"という序論を読んで興味をもったご本。

前半1/3が序論と無関係な書評だけで水増ししてあり、この時点で既に充分「邪悪なもの」の具体例。

よくよく考えてみると、『現代霊性論』で持てた共感のほとんどは、共著者である釈徹宗さんという浄土真宗の先生のお話で、このウチダ先生のお話ではなかったんですよね。正直、自分的にはこのウチダ先生のおっしゃっていることにことごとく違和感を感じます。そもそも、論というには根拠が乏しすぎて、所感にしか見えないです。

その根拠が乏しい所感で、特定の人を犯罪者扱いしたり、批判するのがスタンスなので尚更厭な感じ。

そういう社会に対して毒を吐くこと自体は悪いこととは思わない(お前が言うなって話だし)のだけれど、その根拠を明確に示さない、「なんとなく嫌いだ」レベルの話、要するに個人ブログレベルの話をわざわざ著名な先生が大層なタイトルを掲げてご本にするようなことはないんじゃないのかと感じてしまうわけです。

でも、そういう個人ブログレベルの所感の方が、今の若者受けはよくて売れるんだろうなーとは思います。

実際、ウチダ先生の書く文章は面白いです。村上春樹『1Q84』の物語構造、コピーキャット型犯罪が内包する恐るべき罠、ミラーニューロンと幽体離脱、被害者の呪い、霊的体験とのつきあい方から、草食系男子の問題まで、噛み砕いて誰にでもわかりやすく説明するのが非常に巧い。そして、アプローチの仕方も独特です。

例えば、現代における客観的判断の根拠となる「数値主義」に対する批判について。

"現代では、判断の当否について常に「数値」が求められ、数値をもって客観的に示すことができない「知」は知として認識されない。この数値は科学技術とそのつどの限界によって規定されてしまう。"という命題に対しても、ご自身の豊富な読書体験を通じて、次のような興味深いアプローチをされておられます。

"『生物と無生物の間』で読んだけど、その昔イワノフスキーという人は、顕微鏡で見えないウイルスの存在を証明した。それは見えないものの存在自体を証明したのではなく、「見えないものが存在しないと辻褄が合わない」ということを証明したのだ。だから、現在の「数値主義」という病態は「科学的に正しい態度ではない」。"と。

『生物と無生物の間』なら自分も読みましたが、"イワノフスキーはちゃんとした実験結果(タバコモザイク病の病原が細菌濾過器を通過しても感染性を失わないこと)から、「数値的にも」ウィルスの存在を示している"筈なので、上記の批判の根拠は的外れだってことは置いておくとして、説得力はある話ですよね。

ただ、問題はその後につづく先生のお話。"だから『超能力』や『霊能力』は現に存在する!"と。

"「そういう能力が存在する」ということを前提にしないと、「話のつじつまがわない」から「存在する」"とウチダ先生はおっしゃいます。しかし、"数値的に示すことができないが、その根拠はある。しかし、列挙するには多すぎる"と、重要な部分は逃げるんですね。逃走経路確保としての、事前に「数値主義の批判」だったわけですね。

大槻ケンヂが、昔こういう話をうまいこと定義づけてましたね。「UFOはプロレスだ!」って。

UFOもプロレスも、嘘っぱちだ八百長だとは言われてはいるけれども、その実在やガチを証明する事例は数限りなく存在する。そして、"本気で信じている人が少なからずいる。"ということ。彼らは"実在しないと辻褄が合わないから実在する。"という語り口を多用すること。だから、"UFOもプロレスも同じなんだ!"って。

ウチダ先生の場合、おそらく本気で言ってる方なんですよね。
京極夏彦みたいに「超能力ですか?もちろん信じてますよ(笑)」な感じではない。
バックダッシュで逃げながら、超能力を認めない社会やメディアに対して、全力で石を投げつけてるし。

個人的には「超能力も霊能力もあって欲しいけど、根拠なく存在を認めはしない。」というスタンスなので、是非ともウチダ先生には、逃げずに真正面からその「列挙するには多すぎる根拠」を武器に社会やメディアと闘って欲しいんですけどね。たぶん、アッチ側の世界にいる著名人の中では最強の論客に成りえると思っていますので。



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