てすかとりぽか
その日のアレとかソレとか。
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『トランスフォーマー/リベンジ』 “気に入らないから”という理由で暴力をふるう人たち
最新作まっさかりなのに、なんで旧作の感想なのかといいますと。
まぁ、色々と思ったことがありまして。

トランスフォーマー/リベンジ

2009年のアメリカ映画。マイケル・ベイ監督作品。

昨日テレビでやってたので。感想は前に書いた気がするので割愛します。個人的にはとても好きな作品なのですが、世間一般的な評判は芳しくない作品でもあります。まぁ、確かにめちゃくちゃ下品だし、過剰に残虐な表現多いし、話がクドくて長いし、ダメって言われる理由はわかりますし、そう批評することはいいと思います。

でも、好きじゃない作品だからって、それを流したテレビ局に火をつけにいくのはどうかと思います。

自分が好きじゃない作品を放映したテレビ局の愚痴を言うだけなら、ブログやツイッターで文句を書くだけならいいと思います。それも作品に対する批評と同様で、テレビ局という放送サービスに対する批評なのですから。視聴者がお金を払っているかいないかに関わらず、サービスを批評する権利はあると思っています。

でも、そのサービスに火をつけにいくのは、批評とは全然ちがうし、やっちゃいけないことだと思います。

具体的には、広範囲に対してそのサービスを利用しないように訴えかけたり、電話凸してその対応の揚げ足をとってはネット上に晒したり、要するにそのサービスを利用するユーザーコミュニティを恣意的に“炎上させようとする行為”は、もう批評という範疇を越えて、社会に対する単なる“暴力”であると感じています。

そうした過剰な“暴力”に対して「厭なら見なきゃいいのに」と答えた人もいます。

民放は基本的に無料で提供されるサービスですから、その分のコストは当然スポンサーが負担しているわけで、視聴者が負担しているわけではありません。だから、視聴者よりもスポンサーの意向に沿った番組内容になったり、サービスが提供されるのはあたりまえのことだろうと、そういう声も当然ありました。

その意見は正論という意味では正しいです。でも、自分は“暴力”を振るうこと自体に対して危惧を感じます。

そのサービスによって金銭的な損害を受けたり、人権侵害を受けたりして、その仕返しに炎上させてやろうというのならまだわかる話ではあるのですけど。単にそのサービスやそのサービスが提供する作品が“気に入らない”だけの理由で“暴力”を振るうということは、本気でどうかと思い、怒りを感じています。

ええ、今話題の“フジテレビ”と“任天堂”と“pixiv”の件ですよ、そのまさに。

いずれも、“提供されるサービス内容が気に入らないから”、“サービスを提供する企業の提携相手が気に入らないから”、“企業の対応に誠意が見られないから”というのが炎上の理由になっています。それらが、本当に“だから暴力を振るっても構わない”というエクスキューズになっているのでしょうか。

まぁ、炎上を指揮してる人は、「その企業をサービスを潰したい」というのが理由なんでしょうけど。

「ライバル会社のサービスを炎上させてみませんか?」みたいな仕事を請け負う会社から営業受けたこともありますから、炎上の指揮をとってるのはそういう人たちなのかもしれませんけど。いずれにせよ、これまでは早々簡単にそいつらの尻馬に乗るような人も少なかったんですけど。先週は立て続けに炎上が発生してたもので。

で、なんで自分が怒っているかといえば、まず“サービス提供側の人間だから”ということがあります。

先週起きた炎上案件はネット世論に近いところばかり。自分もその近くにいるわけですから、とても他人事には思えなかったわけですね。本当に炎上してしかるべき不手際で炎上したのならそれは仕方のないことだとしても、早々簡単に“気に入らないから”って火をつけに来られたら、さすがに身が持たないなと。

そして、“ライバルのサービスを潰すのには、炎上が最も有効な手段になるから”というのも怒りの理由。

それこそ、前述の“炎上請負サービス”みたいなヤクザ商売をはびこらせる結果になります。「自社のサービスにお金をかけるよりも、ライバル会社の炎上にお金を使ったほうがいい」なんてなれば、サービスの質は低下するわ“対炎上”という理由から規制は強くなるわで、最終的に一番困るのはユーザーじゃないですか。

「いや、炎上するのを見てるのが楽しいからいい。」って思う人も多いかもしれないですけど。

というか、今回の炎上に後から加担したり、外から見て喜んでるような人たちは、単に有名な会社が炎上して燃え落ちそうになるのを“見てて楽しい”んでしょう。その中の人たちはどうせみんな左団扇でリア充なんだからザマーとでも思ってるんでしょう。その中の人たちの努力や苦しみにまでは想像は及ばないのでしょう。

「自分の気に入らない奴は刺してもいい、家は焼いてもいい。」

そういう社会(ネットも社会という認識すらないのかもしれないのだけど)を本当にみんなが望んでいるんだというのなら、それはもう仕方のないことなのかもしれない。自分の怒りだって、ポジショントークだって言われればその通りだし。だったら、尚更自分はこのポジショントークを貫き通すことになるのだけれど。

とりあえず、“気に入らないから”という理由で炎上に加担する人たちへ。

あなたの行っていることは、そのサービスや関わってる人を殺すことになるけど、それでいいんだよね。あなたがそのサービスを“気に入らない”と思っているその感情は、その提供者を“殺してもいい”と思っているのと同等またはそれ以上に強いものなんですよね。「そうだ」というのであれば、少なくとも自分は止めません。

「人を殺すほどのことではない」と思うのであれば、すぐにやめてください。人が死にます。

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『ボーダーブレイク エアバースト』 初心者は黙ってブロッケン.Jr
対人対戦(PvP)ゲームの新規ユーザー獲得に必要な“初心者向けのセオリー”に関するお話。

ボーダーブレイク エアバースト

セガが開発・運営するアーケード用サードパーソン・シューティングゲーム(TPS)。通称『ボダブレ』。

前々から興味あったのですが、偶々近所のスーパーのゲームコーナーに設置されたので遊んでみました。本作が他の対人対戦型のFPS・TPSと違うのは、プレイヤーが“ロボットに乗って戦う”ということ。この“ロボットに乗って戦う”という設定が意外と曲者だったりするのですよ。初めてプレイする初心者にとっては。

とりあえず、初心者にとって対人対戦ゲームにおける一番の参入障壁は“勝てない”ということ。

普通のゲームであれば、少なくとも操作方法さえ覚えさせてくれれば、1面や2面はクリアして楽しむことができます。でも対人対戦ゲームは、操作方法を覚えただけでは“勝てない”。1人も敵を倒せず、ひたすら相手に倒されまくるだけのゲームとなります。『スーパーマリオ』でいうなら最初のクリボーに殺されまくるゲーム。

そりゃそうですよ。そのクリボーの中には、“自分より経験がある人”が入ってるわけですから。

しかも、厳密にはクリボーじゃなく自分と同じマリオで。もしくは高性能なファイヤーマリオだったりする。勝てるわけない。稀にビギナーズラックで踏み勝てたりすることもあるけど、基本的には相手に殺されまくる。そんな『マリオブラザーズ』の対戦プレイがデフォみたいな『スーパーマリオ』は誰もプレイしません。

そこで、必要になってくるのが“初心者向けのセオリー”ということになります。

要するに“初心者はこれだけやってればなんとかなる!”という攻略法のようなもの。習熟度に拠らずビギナーズラックを最大限に引き出す立ち回り方法こそが、対人対戦ゲームの初心者が知るべき情報となります。また、それこそが、対人対戦ゲームで新規ユーザーを獲得するための“鍵”になると自分は考えています。

具体的には、ファミコン版『キン肉マン』で“初心者はブロッケン.Jr”がコレに当たります。

『Call of Duty:Black Ops』における“腰だめでいいから出会い頭にサブマシンガンぶっ放せ!”です。自分もコレを知ってようやくキル数を稼げるようになりました。逆に、コレを知らないと、FPSのプロの人たちのキル数に貢献するだけのクソゲーになってしまいます。「それじゃエイムがうまくならない」だ?知るか。

“上手くなること”と“楽しむこと”は別。とりあえず楽しめないゲームなんか上手くなってどうすんだい。

兎に角、“勝てないことには楽しくない”のはどんなゲームも一緒。そのために、“まず勝つこと”はとても重要。そのためには“初心者のセオリー”が必要なのだけれど、ソレをどれだけ早くプレイヤーが学習できるか?学習できるようなゲームを作るか?という部分は、新規ユーザー獲得という目的上非常に重要と考えます。

前置きが長くなりましたが、『ボダブレ』はその点非常に優れたゲームといえます。

何より、“ロボットだから死ににくい”という点。プレイヤーが人間のゲームの場合、頭か胴体に銃弾を受けたら当たり前に即死します。この場合、“エイムの上手さ”が絶対的な要素となるため、初心者が熟練者に勝とうものなら“出会い頭のビギナーズラック”に賭けるしかない。それでも経験の差でほとんど負けるけど。

これがロボット同士の戦いだと、いい感じにアバウトになってしまう。少なくとも、即死はしない。

それでも、近寄りすぎれば熟練者の回避力と即死剣の餌食になるし、離れすぎるとそもそも攻撃できないので、うまいこと距離をとりつつロケットなんかで戦うようになる。そんな“なんとなく初心者が行き着く及び腰”こそ、このゲームにおける“初心者向けのセオリー”。なんとなくこれで勝てるようになったりします。

つまり、“初心者向けのセオリー”を自分で学習できるまでの時間が、異様なまでに短い。

普通の対人間のゲームで、遠中間距離なんて熟練者のエイミングのいいカモですから、初心者はとにかく寄らないといけないんだけど、そんな勇気は普通ない。初心者がソコに自分で気づくには、長い研鑽と死体の山が必要。誰かにソレを教わらない限りは、たどり着く前にプレイを辞めてしまうことの方が多いことでしょう。

対ロボットの『ボダブレ』は、ソレを小一時間余りのプレイで気づけるようにできてます。たぶん。

考えてみりゃ、そりゃそうです。家で遊べるFPSが隆盛な中、わざわざゲーセンに行き、カードを買い、安くないお金を払って遊ぶゲームって時点で既に参入障壁が高いのに、そこからさらに“死に覚えの道”が待っていたらたまったもんじゃないですもの。その分、“誰でもすぐにゲームを楽しめる”ようにしないといけないわけです。

だから、“初心者でもすぐに勝てるようにする”という部分は確実に考えていると思うんです。

しかも、それでもちゃんと“自分の力で勝った”と思えるようになっている。なぜなら、“初心者向けのセオリー”だけでは、結局のところ大負けはしなくても大勝ちはできないから。上を目指すのであれば、ちゃんとエイム技術や他のセオリーを学ばなければならないようになっているから。絶妙なバランスで。

戦争やスポーツほど実力ばかりの世界でなく、ギャンブルほど運要素ばかりでもない。

対人対戦ゲームとして最上のバランスを持ったゲーム。それが『ボダブレ』が“高額なアーケードゲーム”という敷居の高さにも関わらず、多くのユーザーを惹きつけている理由かなと、本日プレイして思い至った結論です。以前触れた“『ボダブレ』はチートも個々人の回線差もないから”って話にも繋がりますね。

“『ボーダーブレイク Ver1.5』 王族の賭場”

じゃあ、みんな“絶妙なバランスの対人対戦ゲーム”を作ればいいじゃない?ってのは簡単じゃないです。本作だって数々の名作対戦ゲームを作り上げてきたセガだからこそできたようなわけで。でも、“ゲームをちゃんと作ることで、お金を稼げるようにする”って思想は近年失われつつあるので大事にしたい考え方ですよ。

「そんなことより、なんとかロワイヤルにした方が簡単に儲かるじゃない」と。

自分は幸運にも(不運にも?)ソーシャル的な方向はまだ求められていない所にいるので、『ボダブレ』は趣味半分の勉強半分でやらせていただこうと思っています。『ボダブレ』の“新規ユーザー獲得策”は分かっても、“長期に渡って多くのユーザーを維持している”という謎の部分はまだぜんぜんよくわかんないので。

あと、『ボダブレ』やってる人みんなやさしい。

Twiiterで「これどうやんの?」的なことをつぶやいてたら、親切に教えてくれた方が何人もいました。これが他の対人対戦ゲームだと開口一番「ググレカス」って言われるし、「エイムが上手くならないから…」とか言いつつ、自分がカモにしやすいようなインチキセオリーを教えてきたりするしな。ほんとみんなやさしい。

『二次創作と著作権について』 限りなく真っ黒に近いグレー
何やら本日Twitter上で二次創作と著作権に関するツィートを多く見かけたので。
いい機会なので自分の認識をまとめておきたいと思います。

【1】二次創作の必要性について
【2】二次創作の違法性について
【3】二次創作のあり方について

とりあえず、上記3点について順に。

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【1】二次創作の必要性について

“ある漫画賞受賞作品との間で生じた問題についてのコメント 冲方丁先生のブログより”

・広告効果
・ファン同士の交流
・セミプロの育成の場

二次創作の必要性に関しては、わりと自分も冲方先生のご意見と同じでした。自身が過去に二次創作に携わっていたということもあり、現在もそこで培った経験の多くを仕事に生かせているという事実が、最もな論拠です。あとは、自分の周囲でも二次創作を通じてプロの漫画家になった人がたくさんいるというのもあります。

ただ、一つ疑問があるとすれば、“広告効果”という部分について。

二次創作が権利者のビジネスのプロモーションとなるかどうかという点については、その効果を実感したこともなければ、効果を証明するデータが取れたということもありません。あくまで感覚的な範囲で“効果ないってことはないんじゃないの?”という程度で、実質「効果なんかない」と言い切るプロモーターも少なくありません。

しかし、二次創作をする側の意見として必ず聞かれる「宣伝してあげてるんだから」という声。

権利者側と二次創作をする側の間で、おそらく一番認識に溝がある部分は、まさにこの点。“権利者の利益になるかならないか?”の部分です。そして、今後の二次創作のあり方を考える上で、両者の認識を合わせる必要性が最も高いと感じる部分でもあります。てか、その話の前に、二次創作の違法性についてお話いたします。

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【2】二次創作の違法性について

「限りなく真っ黒に近いグレーですね。」

ゲーム業界団体の顧問弁護士で、知的財産権関連の研修会などをされている方にお尋ねした時の回答。

著作権者の許諾を得ずに二次創作物を作成した場合、複製権・翻案権・同一性保持権等の権利侵害となる可能性があります。勿論、これらを販売したりネット上で公開するなど、私的利用の範囲を超えた場合に限られますが。ただ、著作権者の許諾の範囲内で作成する限りにおいて著作権侵害となることはないそうです。

“権利者の許可を得れば問題ない”それだけが、完全に黒とならない理由なんだそうです。

じゃあ、“権利者の許可を得ずに売った場合は?”当たり前の話ですが、黒です。著作権を故意に侵害した者は、刑事罰として10年以下の懲役または1000万円以下の罰金に処せられます。はっきり言って重いです。傷害罪より重いんじゃないでしょうか。さらに、民事訴訟で損害賠償請求もされます。

ただし、著作権侵害罪は“親告罪”です。

権利者による告訴がなければ、検察官は公訴を提起することができません。つまり、“訴えられさえしなければ問題ない”ということですが、逆に“訴えられたらアウト”ということです。「じゃあ、過去に訴えられた事例があるの?」って点に関しては、ぐぐれば出てくるので気になる方は調べてみてください。

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【3】二次創作のあり方について

前述した自身の認識の【1】の要点は、“権利者と二次創作者の認識の最大のズレは、二次創作が権利者の利益になるかならないか?という点”。【2】は、“著作権侵害罪は親告罪である”という点になります。この2点から、今後の二次創作のあり方について導き出せる結論は1つしかありません。

“権利者に不利益を与えないように二次創作をしよう。”

「いやいや、なんかちがくね?普通は“権利者の利益になるように二次創作する”か、そもそも“権利者の許諾を得て二次創作する”って考えになるんじゃね?」と思うかもしれません。では、まずこれら2案の反証から行っていきたいと思います。まずは、“権利者の利益になるように二次創作する”ということ。

「なるわけねーだろこの盗人ども!!」

ゲームのデザイナーさんとか、本気で同人嫌いなんだと驚きました。中には同人上がりの方でそれらに好意的な方もいるかもしれませんが、芸術家肌のプライド高い人が多かったりします。基本的に自分の関わった作品の二次創作物とか「早く訴えて潰せよ!」って感じです。

そもそも、デザインという最も著作要素の高い部分を担う彼らからして、二次創作を嫌っているのです。

それは、“自分のデザインしたキャラを勝手に描きなおされている”という芸術家としてのプライドを傷つけることは勿論、“勝手に売って金にされている”ならびに“本来自分が受け取るべき報酬を掠め取られている”という、金銭的な問題でもあります。ファンの人が思ってるほど、そういう方々も聖人君子じゃないんですよ。

さらに、この不況下です。リストラや賃下げもあたりまえのように行われている中のことですから。

数年前ならいざ知らず、こんな状況下で“二次創作が権利者の利益になる”なんていうのは盗人猛々しい話です。ジュース万引きした犯人が「俺がみんなの前で飲んで宣伝します!」って言ってるようなもんです。ただ、それでも“権利者を説得できる確かなデータ”を示すことが出来ればどうにかなるかもしれませんけど…。

じゃあ、“権利者の許諾を得て二次創作する”というのはどうなのかといいますと。

これは、実際ガレージキットの展示即売会である『ワンダーフェスティバル』や『ジャパン・ファンタステック・コンベンション』でやられている“当日版権システム”で実現されています。イベント参加者が、事前に二次創作物の販売許諾を権利者各社から受けるというもので、これなら著作権侵害にもあたりません。

「正直めんどい。」

これのチェックだけ昔やったことがあるんですけど。めんどい。そもそも、デザイナーに確認するとほぼほぼNGになります。特に、オリジナル要素を入れられた時点で大抵は「これは元々ウチで出す予定だった奴だ」とか「ウチで出すデザインの可能性が削られる」とか、そういう理由で許諾自体が滅多におりません。

しかも、まだ点数が少ないガレキでも大変なのに、同人誌とかなったら…。

“権利者側に膨大な工数が発生する”という理由から、“権利者の許諾を得て二次創作する”ということも現実的ではないと考えます。もちろん、工数が増えるのは二次創作をする側も同じですよね。同人誌の印刷スケジュールを現状の2ヶ月ぐらい前倒しする必要が出るんじゃないんでしょうか。

結局残る手段は“権利者に不利益を与えないように二次創作をしよう。”

“不利益にならないように”とは、具体的には“権利者に致命的なダメージを与えないこと”です。権利者側も、訴訟するにはお金も工数もかかるので、余程のことがない限り告訴なんかしないんです。だから、普通の二次創作による権利侵害で掠め取られる利益は、権利者側もリストラや給料下げることで賄う方が楽なんです。

普通の権利侵害により受ける不利益は、権利者側の末端スタッフが血を流すことで賄うからいいんです。

では、権利者にとっての“スタッフの血じゃ賄えないほど、致命的なダメージ”とは何か。具体的には“企業イメージの失墜”や“一般のお客様に迷惑がかかること”です。つまり、具体的にどんな時に告訴されるのかというと、前述の弁護士の方の言を借りるならこうなります。

「とにかくエロいのはだめですね。」

例として『ときめきメモリアル』の二次創作であるエロビデオが、著作物の改変行為として認められた事例を上げていました。アレとかは、要するにゲームのイメージを不当に著しく貶めたことで、“ゲームブランドが致命的なダメージを受けた”と権利者が判断した故に起こされた訴訟であるともいえます。

もう一つ、エロいのがまずい理由。“一般のお客様からのクレーム”につながりやすいこと。

権利者が大きな企業であればあるほど、体裁を重んじます。そんな中、一般のお客様からの「お前のとこの作品がエロ本になってるぞ!」みたいなクレームには異常に弱いんです。とにかく、18禁の二次創作は、権利者に対して与えるダメージがその他二次創作とは段違いなのです。故に訴訟されるリスクも高いのです。

元々は、二次創作も、エロ創作も、アンダーグラウンドであるべきものでした。

それが、いつしかかオタク文化が一般的な文化となるに従って、二次創作もエロ創作も地上に這い出てきてしまった。“市民権を得たもの”として勘違いした人々が、街中でエロマンガを広げ、海外に輸出し、一般人の嫌悪や外圧を煽ってしまった。行政介入や表現規制への足がかりを作ってしまった。

それでもなお、日の下ではしゃぐのを止めないのであれば、二次創作に未来はないでしょう。

権利者からの告訴は勿論、行政や司法の介入が増えるような状況になれば、展示即売会の会場を借りることもできなくなり、二次創作の活動の場は根こそぎ奪われることになるでしょう。自分がそうした状況を望んでいないのは、一番最初に説明したとおりの理由です。二次創作の必要性を感じているからこそです。

だから、ここに警鐘を鳴らしたいのです。もうこれ以上社会を敵に回すなと。

権利者にダメージを与えるなと。訴訟されるような真似はするなと。そうでなくとも、自身の行為の結果が多くの権利者側スタッフが血を流させ、自殺にすら追い込んでいるのだと自覚はしてほしい。その上で、ただひたすら謙虚に、日の当たらない所で、自身を磨く手段として二次創作を愉しんでほしい。そう願います。

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補足。著作権侵害の“非親告罪化”への動きも懸念されています。そうなると、権利者の告訴なしでも“警察側の判断で逮捕・告訴することが可能”になります。そうなると、“通報厨”が生まれてディストピアSFみたいな世界になります。ちなみに、商標権の侵害は現状でも“非親告罪”です。何が言いたいのかというと…。

某アニメキャラの企業ロゴは、描いて売った瞬間に捕まります。
(警察が自発的に捜査はしないでしょうけど、通報されたらせざるを得ません。)

『コクリコ坂から』 宮崎駿が自己投影した運動家が無双する話
面白かったけど、宮崎パパが採算度外視でやりたい放題書いた脚本を息子に丸投げしたように思えなくもない。

コクリコ坂から

2011年公開の日本のアニメ映画。宮崎吾朗(息子)監督、宮崎駿(パパ)脚本。スタジオジブリ製作。

ぶっちゃけ『ゲド戦記』はあらゆる映画作品の中でもダントツに嫌いで。単純に凡作であるだけでなく、“有名な親父の威を借るだけで映画もアニメもド素人のドラ息子が、広告代理店辺りに担ぎ上げられて撮られた有名無実の極みのような映画”として、業界の将来を考えたら1ミリたりとも擁護したくない作品という認識だったのです。

要するに『賭博堕天録カイジ 和也編』の和也みたいな奴が、いきなり撮った映画みたいな認識です。

…いや、和也が書いた小説は実際面白いけどね。でも、前作では無関係を決め込んでいた駿パパが、今度は企画・脚本から関わっているということで、ようやくちゃんとした意味での宮崎二世として、監督を任せてもらえるようになったんだね!と。生ぬるく見守りたいという意味からも初日から観にいってきました。

…てか、なんだこれ!!駿パパやりたい放題やりすぎだろっ!!

えーと、何から突っ込むべきかな…。世界設定について、原作は80年代の高校における制服廃止運動という、わりかし最近の話だったはずなんですけど。本作では時代を60年代に置き換え、バリバリのサヨ…学生運動真っ只中、その先鋒に立つ男子2人と主人公による権力との闘争や淡い恋愛劇を中心に描いています。

その男の一人、生徒会長で七三黒縁メガネの水沼。駿パパの若い頃に似てません?

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七三髪で、今よりシュッと細めで、黒い縁の太いフレームの眼鏡は昔よりも今の駿パパのイメージが強いですけど。個人的にはどうしても、駿パパが企画・脚本する中で、この水沼というキャラクターに、若かりし頃の自身を投影しているとしか思えないのです。学生時代、運動家であった自身を重ねてらっしゃるのではないでしょうか。

東映動画労働組合の書記長として激しい組合闘争を行った自身に重ねていらっしゃるのではないでしょうか。

てか、この水沼というキャラ、何かと気持ち悪い(いい意味で)んです。初登場の時から、主人公二人が霞むぐらいの“スカしたオーラ”を漂わせてて。主人公とその妹が二人で尋ねていった時、その妹を「エスコートするよ」と言ってサラリとその肩に手を回す“プレイボーイっぷり”といい、本当に気持ち悪いんですよ。

「あ、この子確実にこの七三メガネにヤられちゃう…。」

って無意識に感じる演出でしたよ。でなきゃ、フツー“肩に手を回す”かね?せめて、“先に立って歩き出す”とかそういう見せ方にしないかね?って邪推しちゃうのは自分がゲスなだけかもしれませんけど。同時に、もし駿パパが自身を投影したキャラなんであれば、そういう夢も持たせてしかるべきじゃないかとも思いました。

というか、寺山修司の映画だったら、間違いなく男子学生どもに“輪姦されかねない”状況でしたしね。

自分がどうしても本作の中にある種の“気持ち悪さ”を感じてしまうのは、物凄く緻密に描かれている時代背景の中に“寺山修司っぽさ”を感じてしまっているからなんだと思います。同じ時代を描いた作品の中で、自分が観てるのってそのへんだけなので。だから、男子学生の群れとか見ると、何かしらの恐怖を感じます。

で、さらに水沼=駿パパ論をこじらせるには、少々のネタバレが必要になります。

※※※以下ネタバレにご注意!※※※

水沼たちは、自らの活動の拠点となるサークル煉である“ナントカ荘(名前忘れた)”の取り壊し計画に反対し、学校側と対立しています。一度は校長により取り壊しが決定されるも、水沼と主人公らの活躍により、取り壊し計画をご破算に追い込むことに成功します。それが、本作における抑圧とカタルシス開放に当たります。

これがまた、『千と千尋の神隠し』の「大当たり~~!」に匹敵するぐらい、あっさりうまくいっちゃう。

過去の闘争の結果に照らし合わせて、反対運動は“当然失敗する”と自分は思ってたんですね。それが、水沼たちの策略はすべてうまい方にうまい方にばかり転がっていく。いくらなんでも、これは解せません。というか、水沼は、完全に“この勝負の勝ち方について知っている”としか思えない、終始余裕の態度を貫きます。

なぜ、水沼は“勝負の勝ち方”を知っていたのでしょうか。劇中では深く掘り下げられません。

水沼のとった方法は、“決して大人には噛み付かない、長いものには巻かれる。最終的にはより強い大人を利用する。”というものでした。反対集会の際にも、教師が見回りに来ようものなら一時的に論争を止め歌を歌う。校長がダメなら、理事長を懐柔しに行く。いずれも、とても高校生運動家とは思えない老獪なやり口です。

水沼は、主人公が“理事長を懐柔できる鍵”ということも何故か知っていたようにも思えます。

もし、この水沼が駿パパ自身を投影したキャラなのだとしたら、“老獪なやり口を知っている”という点も説明がつきます。また、何より自身が過去に失敗している闘争を、“自分の作品の中で、今度こそ成功させたい!”という想いがあったからこそ、自己のルサンチマンをこの作品の中で発散させようとしたのではないでしょうか。

要するに本作は“ルサンチマン野郎である駿パパが、やりたい放題やってる映画”なんじゃないんでしょうか。

で、そこまでやっちゃって興行収入が悪くても自分の責任にならないように“息子に丸投げした”んじゃないんでしょうか。さすがにそれは邪推しすぎかとは思いますけど、そう思った瞬間に自身の中の“宮崎吾朗監督に対するわだかまり”が氷解し、逆にものすごく応援したくなってきたんですね。

『賭博堕天録カイジ 和也編』の和也も、徐々に応援したい対象になってきたのと同じですね。


『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』 アニソン部屋とそうじゃない部屋
今更ですが観てきました。

ていうか暑すぎて日中外出できなくて、日が暮れてから近所の映画館に行くしかないっす。で、近所の映画館はスーパーの屋上にあるようなソレなので、家族向けな奴しかやってないのです。『デンデラ』とか『ムカデ人間』は勿論のこと、『127時間』や『鋼の錬金術師』すらやってない。んでもコレ観たかったからいいです。

個人的にシリーズ中いちばん好きかもしんない。ネタバレはほとんどなしの方向です。

X-MEN: ファースト・ジェネレーション

2011年のアメリカ映画。マシュー・ヴォーン監督。

アメリカで人気の漫画の『X-MEN』の話のソレができる前の話。X-MENのリーダーであるプロフェッサーXと、その敵ブラザーフッドの親玉マグニートーが出会い、別れるまでのお話です。そして、マグニートーのあのヘルメットの秘密にも迫っていきます。そして、プロフェッサーXの頭がハゲた理由は語られるのだろうか?

“ゲイゲイしいお話”とは聞いてはいましたが、いやほんとまじでゲイゲイしいです。

製作に関わっているブライアン・シンガーがそうだとか、将来のマグニートーを演じているイアン・マッケランとかそうだからという話を抜きにしても。一度そういう視点で見始めてしまうと、もうチャールズ(プロフェッサーX)とエリック(マグニートー)の一挙手一投足一言一句がもうそういう風に認識されてきます。

二人が登場するシーンに出てくるオブジェは、フロイトばりに“性欲とセックスの象徴”に見えます。

黒光りする音速戦闘機も、球形のテレパシー増幅装置「セレブロ」も、チャールズが頭にかぶるソレも、エリックが頭にかぶるソレも、エリックが能力を使ってチャールズに向けるパラボラアンテナも、エリックが水中から引っ張り出して天を仰ぐように水飛沫が滴たらせる潜水艦も、ぜんぶ“男根を象徴”してるように見えてきます。

エリック、結局あんだけ誘ってきたミスティークに指一本ふれないですしおすし。

というか、基本的に今作もミュータントという“マイノリティ”たちを描いた作品なものですから、現実世界の“セックスマイノリティ”であるゲイカルチャーに関するエッセンスは当然感じられてしかるべきなんです。というか、エリックが求めているのは“性差”なんかではなく、“個性”でつながることなんですよね。

エリックは、“マグニートーというコスプレをすること”を通じて、他者とつながろうとした。のですね。

大学の先輩が寄稿されていて拝読した『挑発するセクシュアリティ』という、セクシャルマイノリティやゲイカルチャーについて書かれたご本より、「性とコスプレ・コミュニケーション」という論稿の中に“コスプレとは、自ら着替え続けることで、常に新しいコミュニケーションを夢想し、渇望する行為である。”という言葉があります。

その意味するところ、“コスプレ”とは、単なる服飾嗜好や性転換願望に機縁するものではなく、キャラクターまたはそれが登場する作品に対する、自身の尋常為らざる嗜好を外部にアピールすることであり、同時にその自身と同レベルの嗜好を持つ他者とのコミュニケーションを獲得するための手段でもあるということです。

本作中で、お互いに“異名を名乗りあう”行為、“ユニフォームを着る”行為がまさにソレにあたります。

また、現実世界のコスプレイヤー達は“対象への嗜好”という根本的な目的および手段を強調するが故に、社会におけるコミュニケーションの媒介として、最も基本的な要素である“性差”さえ脱ぎ捨てています。厳密には、生物学的な性を殊更に強調した衣服を纏うことで、社会的性である“ジェンダー”を放棄しているといいます。

生物として、社会としての“性差”を脱ぎ捨てて初めて、“嗜好”だけで他者とつながることができると。

本作において、とりわけエリックは、“性差”を重視せず、“一般的な外見による判断”も重視せず、各人の能力、つまり“個性”を重要視しました。故にチャールズも一度は馬鹿にしていた“異名システム”に関しても、エリックは最初から賛同を示し、一番最初に自分コスをはじめたミュータントでもありました。

同じ思想を持った変わり者同士でつるみ、異名で呼び合い、性差を超えた絆で繋がる、それが彼の理想。

ソレは見る人が見ればやっぱり“ゲイっぽい”って話なんでしょうけど。個人的にはゲイっぽいだけじゃなく“オタクっぽい”っていうか、懐かしいですよねそういうの。学生時代のオタク系サークルっぽい感じで。カラオケ行ったら当然の如く“全部アニソン”だったりする。Bzとか入れると引かれちゃう感じ。

チャールズ(プロフェッサーX)も、まぁそういうの嫌いではない体をしてはいましたけど。

じゃあ、何故二人は袂を別ってしまったのか?という部分は話すとモロネタバレなので具体的には話しませんけど。オタク系サークルでカラオケに行ったら“アニソン部屋”と“歌謡曲もアリ部屋”に別れてしまったのに似てます。その中でさらに「ラルクはアニソンじゃねーがら!!」とか色々あります。

エリック「レイヴン、もう自分を隠さなくていいんだ。ジャンパーソンとか歌っていいんだ。」

『グリーン・ホーネット』 なんでキャメロン・ディアスなんだろう。
暑くて暑くて外に出る気がなくなって映画は観るんだけど、暑くてPC起動する気になれなくって感想とか書かずに済ましちゃってる映画がいっぱい増えてきて困ります。こないだTwitterでみかけた“2011年上半期の面白かった映画”的な企画の時、自分の日記観ながら考えるから、一応観た奴は感想残しておきたいのですけど。

“2011年上半期のおもしろかった映画トップ3の結果発表”

そもそもの話。自分がなんで映画とかの感想を文章にしておくかって理由は、忘却防止の一点。

自分は小学生の頃から“忘れ物王”と呼ばれるほど、忘れ物とか物忘れが酷い性質だったので、自分の記憶力というものについてまったく信用していません。だから、趣味でも仕事でもなんでもすぐにメモをとるように心がけています。とりあえず、一度自分で文章を作ったものに関しては、なんでだかよく覚えてられるんですよね。

映画の感想書くときに、公開年と監督名を書くのは、そこだけは最低覚えておきたいがためなのです。

グリーン・ホーネット

2010年のアメリカ映画。ミシェル・ゴンドリー監督。

ブルース・リーが出てる旧作のほうは、なんか昔大学生の頃に、先輩が家に持ってきて観たんだけど、なんか自分寝てたからよくおぼえてねーです。だから、本作にはまったく思い入れもなく期待もしてなくて、要するにどーでもいい感じで観てしまったのですが、意外とテンポがよくって面白かったですよ。

でも、なんでキャメロン・ディアスなんだろう。

主人公達が秘書として雇った、インテリセクシー美女の役が、なんでキャメロン・ディアスなんだろう。原作知らないので、もしかしたら原作は年上熟女萌えなストーリーとして有名なのを自分が知らないだけなのかもしれませんけど。どーしても彼女がかわいらしい態度を魅せるシーンで、なんでキャメロン・ディアスなんだろうと。

“もっとも危険な有名人はキャメロン・ディアス、2位はジュリア・ロバーツ”

キャメロン・ディアスは、最新画像などのダウンロードや検索をかけると、約10%の確率でウイルス感染や不正なサイトに接続してしまうという。知らなかった。そんなに彼女が危険な存在だったとは知らなかった。そう思うと、自らダークヒーローになろうとする本作の主人公達にぴったりのヒロインなんじゃないんでしょうか。

というのは冗談として、ほんとマジでキャメロン・ディアスなんだろう。

アメリカでのキャメロン・ディアス人気ってなんかすごいですよね。もう40歳近いはずなのに、まだまだ“いかにも20代”って感じのキャラで出てきたりしますし。まぁ、それを言うと吉永小百合とかも一緒になっちゃうんですけど、キャメロンの場合は“いつまでもギャルギャルしい”ってイメージが強いので。

いや、べつにどうでもいいんで落ちも特にないですよ…。



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