てすかとりぽか
その日のアレとかソレとか。
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『ジャッジ・ドレッド』 実在する非実在私刑執行人
ジャッジ・ドレッド

2012年のイギリス映画。1995年同名作品のリメイク。ピート・トラヴィス監督作品。

大事なことなので最初に言っておきます。ジャッジ・ドレッドは実在しません。

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国土の大半が荒廃した近未来。巨大都市メガシティー・ワンは、日の犯罪件数が1万を超えるほどの犯罪多発都市でもある。この都市の治安を維持しているのは、警察と司法の機能を併せ持つ裁判所であり、そこに所属する通称"ジャッジ"と呼ばれる裁判官達である。彼らは法を犯した者には決して容赦をしない。

SFです。フィクションなんです。もう一度言います。ジャッジ・ドレッドは実在の話ではありません。

何の話かわからないかもしれませんが、本作に登場するタワー型マンション。こういうタワマンの吹き抜けとか見ると、人を投げ落としたくなるのが人の本能です(「タワマン 投げ落とす」での検索結果:約 183,000 件)。勿論、本作でも投げ落としてますし、『ザ・レイド』でも投げ落としてました。

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でも、現実に投げ落としたら、それは犯罪です。殺人罪か未遂罪に問われます。

故にどんなにムラムラッと来てもやっちゃいけません。「映画の真似をした」なんで口が裂けても言っちゃだめです。それこそ青少年なんとか育成条例に準じ、「非実在私刑執行人描写を理由にした犯罪がうんたら」とか言われ、映画作品が表現規制の対象として上映禁止などの措置を受けかねない事態に陥ります。

“非実在私刑執行人”とは。

創作された文字・視覚・音声情報で“私刑執行人”と認識される創作上の架空のキャラクターを意味する法制上の専門用語です。さらに、以下のように青少年保護ホニャララ条例にて定義され、一般流通される商品に下記のような描写が見られる場合は、不健全指定図書類として指定できるそうな。

“服装、所持品、背景その他の人物像を想起させる事項の表示又は音声による描写から私刑の執行人として表現されていると認識されるもの(以下、非実在私刑執行人)が登場する又は非実在私刑執行人による刑罰執行類似行為に係る非実在私刑執行人の姿態を視覚により認識することができる方法を肯定的に描写することにより、青少年の暴力に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの。”

なんでも、『水戸黄門』や『必殺仕事人』なんかも、この対象にあてはめ規制しようとしてるとか。

という冗談はさておき、性的描写のある漫画やアニメと性犯罪との間に因果関係が証明できないのと同時に、私刑やリンチという暴力的描写のある映画と暴力犯罪の間もしかりというのは揺るぎないとは思っていたのですが、近日そうでもない事態を目にしてしまっているため、一応ご紹介しておきたいなと。

特定個人・某社によるtogetter改編と-お詫び-に対する抗議” こちらは2chとTwitterでは有名な匿名の方が主導されている、change.orgというSNSを利用した署名活動です。表向きは署名活動に見せつつ、実質気に入らない個人に対してスパムメールを送りつけられるという、“私刑システム”として極めて洗練されたものであります。

もちろん、本来のchange.orgというサービスは、“私刑利用”を目的としたものではありません。

「社会を変えるためのキャンペーンに参加しやり遂げるためにすべての人に権利を与え、どこからでも始められるようにする。」ことや、「月1000件もの各問題において100万もの人々がchange.orgで署名することで地域的に世界的に変えるために毎日キャンペーンをやり遂げる。」ことを目的としている、健全なSNSです。

要は使う者次第というものではありますが、実質特定個人宛てに大量のスパムメールが送ることができる“私刑システム”としても有効であることが今回証明されました。また、「そんなの送られるようなことやる奴が悪いんだろう!」という声が大きいという事実も、このサービスをとりまく環境として興味深いところです。

自分も今回のケースに関して、送られる方にも問題はあると感じています。

では、“送る側に問題はあるのか?”その点を問いただされた方がTwitterで極めて面白い答えをされていたので、それが今日の本題でもあります。気に入らない相手にスパムメールを送りつける行為、Twiiter上から集団で特定個人を攻撃する行為、いわゆる“私刑”を指摘された方の弁解がこちらになります。

「じゃあ、水戸黄門や必殺仕事人にも文句つけるのかよ?」

彼は“非実在私刑執行人”を現実問題に引っ張り出してしまいました。現実そこで起きている“私刑”に関して指摘された際に、「非実在私刑執行人描写を理由に」自己弁護を計ってしまったわけです。現実世界の性犯罪者が「じゃあ、エロマンガにも文句つけるのかよ?」と言うようなロジックを用いたわけです。

これは危険です。“非実在私刑執行人描写と並べて、現実でも私刑を行う人”がいることは、極めて危険です。

個人的にはフィクション世界の暴力描写は大好きですが、どんな理由があれ現実の暴力は許せません。同様に現実世界の私刑も許せません。どんなにやられる側が悪人であれ。でも、「悪い奴はリンチするしかねーだろ?」って人たちは、フィクションも現実も同様に考え、軽々しく一線を越えていきます。

大事なことなので3回目言います。ジャッジ・ドレッドは実在しません。

フィクションと現実の区別がつかなくなった人たちに理解を求めようとして、それは適わないと知ったのはここ最近のことではないので、別にもう彼らに理解は求めません。ただ、今彼らのような人の足元をすくって、それを根拠に表現規制やらを押し進めようとしている人達がいることはみんな知っておいた方がいいです。

ぼくらが夢中になっている、フィクションの世界を守りたいのであれば。

フィクションの非実在を、現実として受け入れましょう。


『オブリビオン』 パクリとオマージュについて
オブリビオン

2013年のアメリカ映画。ジョセフ・コシンスキー監督作品。

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同名のゲームが有名なので、それの映画化か?と思った人は100万人ぐらいいたでしょうけど、ソレとは全く異なる“ものすごくしっかりしたSF作品”として楽しめました。最近はSFいうたらB級ホラーかバカ映画と決まってたのにね。全然期待してなかった自分をちょっぴり呪います。

あと、今やってるゲーム『真・女神転生4』ととても似た話でした。

「似た話でした」以上そこを掘り下げるつもりはないです。パクリとかオマージュとか言う話は個人的にあんまり好きではないので。というか不毛だなあと思うので。つい最近某映画に「パクられた!」と憤る漫画家さんの話があったのですが。せっかくなので自分のパクリ&オマージュについて思うことをば。

まず、“パクリ”の定義について認識を示しておきます。

“既存のものに似た作品やネタを作ること、あるいは極めて似た作品やネタを発表すること(ネタをぱくった、など。本来は剽窃、盗作)。ただし、この場合、剽窃元とした作品よりも劣っているものや、剽窃元をほぼそのまま流用(コピー・トレース)している事が誰の目にも明らかなものに対して使われることが多い表現である。”

上記wikipediaからの引用ですが、概ね同じ認識です。そして、“事実、剽窃や盗作である”と“著作権の権利者が問題である”とするのであれば、しかるべき形で詳らかにし、その“パクリ行為”に関しては相応の是正を求めること必要があると考えます。“パクリ”に対する認識で、ここが違うという人はそういないでしょう。

しかし、「パクリだ!」と権利者でもない人間による作品批評の根拠として用いられることに感じる違和感。

「はい、パクリました」と作者が言ってるならまだしもですが。脚本の似てる部分、絵柄の似てる部分をこそげとって「これはアレのパクリ(ドヤァ)」とする批評を見るとね。ほんと。お前が一体その作品の、そしてそのパクられたと言ってる作品の何を知ってるんだろうと。ほんと。

“人は人の真似をしないと生きていけない。”

これは“まねる”と“学ぶ”が元は同義であったことや、茶道開祖である川上不白が“守・破・離”というものごとを習得する段階として「まず、お手本を忠実になぞることから始めなさい。」と教えていることからも分かることですが、逆説的に“何も真似ずにゼロからモノを創ることはできない。”ということです。

また、「自分が思いついた程度のことなんて、他の人が既に何人も考えてる」は、企画仕事をしていると常にぶち当たる命題です。そこで逐一「世界中の誰も考えてない企画かどうか?」を気にしはじめたら、何も生み出せなくなってしまいます。今はネット検索があるので、ある程度の無意識のトレースは回避できますが。

デザインに関しても同じです。例えばドラゴンのデザインに関して、誰が一番最初に考えたのか?を調べてみると、記述に関しては中国の『山海経』の応龍あたりが一番古かったりします。ただ、伝承に関しては交わりのない筈の各文明間でだいたいどこも似たようなデザインを生み出していたりします。

“人間が恐れる動物を組み合わせるとだいたいああなる”んです。誰でも考えつくデザインなんですね。

故に「俺がこのアイデアのパイオニアだ!」という人はだいたい勘違いが多いとも思うわけですが、権利を侵害されたと感じたのであれば、それはしかるべき形で司法に委ねるべきと考えます。だけど、そのアイデアの成立過程を何も知らない無関係の赤の他人が「パクリだ!」と言うのは論旨が通らない主張と感じるのですね。

そして、“オマージュ語り”の方にも同様の違和感を感じるわけです。

“オマージュ(仏:hommage)は、芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。”というwikipediaの記述と認識は変わりません。

「この作品はアレのオマージュです。」と作者が言ってるわけでもないのに、「コレはアレのオマージュ(ドヤァ)」というのが嫌。個人的に、作品の感想書くのがめんどくさい時とかにやっちゃってたという罪悪感もあるのですが、いかにもその「俺はこの作品の全てをお見通し」という高慢さに溢れた感が嫌。

厳密に言うと「オマージュなんじゃない?」はよくて「オマージュに決まってる!」が嫌。

さらに「コレはアレのオマージュに決まってるんだから、お前の観方は間違っている!」とまで言ってくる人が嫌。感想や批評は個人の自由なんだから何のオマージュでもいいよお前の中ではそうなんだろうから。でも、その感想を他人に押し付けてくるんじゃねえよ。と思いつつ「ですよねー」と大人の返答する自分が嫌

さらにそこに「俺、映画いっぱい観てるだろ?マイナーな映画知ってるだろ?」が乗ると、もうね。

この場合は、概ね映画の1シーンや台詞だけを抜き出して、似たような過去作品を探してきて言っている場合が多いのですが。オマージュであると作者が明確に語っている場合を除いて、「なんか似ている」という極めて薄弱な根拠を元に「俺はネタ元を知っている」ということを言いたいんだと思うのですが。

映画をたくさん観ていること、マイナーな映画も知っていること、それは教養として素晴らしいことだと思います。でもね、そのお前がオマージュ元だっていってる映画には原作小説があってですよ。その作者がどこぞの伝承をモチーフにしたって言っちゃってるんですよ。みたいなこともよくあるわけですね。

「だから、ドヤ顔でネタ元を語るなら、映画だけ観てたんじゃだめなんだよ。」

と言いたいとこですが、それじゃ映画批評家はみんな民俗学者みたいなことしなきゃらなんという話になるし、何より「俺はよりネタ元を知っている(ドヤァ)」というブーメランを投げてるので。要するに、“作品批評を通じて自分の教養を主張し、他者に優位さを示す”ような行為は死ぬほど不毛だと思うわけですね。

というか、一番言いたいのは「まず、観た作品をリスペクトして!」ということです。

“その作品が何をモチーフにしたか”という部分を観てもらいたくて作品を創るクリエイターなんかいないです。本当にオマージュ心から真似たとして、観てもらいたいのはその結果として昇華された部分ですよ。(結果として昇華どころか劣化する例もありますが。)まず、作品自体をメインで語ってあげましょうよ。

その上で「コレはアレのオマージュかも?」ぐらいの謙虚さでオマージュ語りをしましょうよ。

『オブリビオン』の話を全くスルーしてこんな文書いてる自分も人のこと1ミリも言えた義理ではないので最後に言い訳だけさせていただきます。だって何書いてもネタバレになるから何も書けやしねえんだから、なんかテキトーなこと書いてお茶を濁すしかないじゃないですか。


『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-04 真相!トイレの花子さん』 和製コズミックホラーとして
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-04 真相!トイレの花子さん

2012年の白石晃士監督作品。

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全国各地にある有名な都市伝説の真相を主観で追うホラー第4弾。『ノロイ』や『オカルト』などのジャパニーズホラー系モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)で有名な白石監督か、新たな境地を求めて凄まじくやらかしてくれている本シリーズの中でも、頭一つ抜けてやらかしている作品です。

ぶっちゃけ、本シリーズは『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズのパロディです。

そもそも、『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズって何?ってとこからだと思いますけど。よくTSUTAYAなんかに行くとコーナーもある“一般投稿により寄せられた戦慄の映像集”と題された人気シリーズで。Youtubeに上がる和製心霊動画関連はほぼこのシリーズ発といってもいいぐらいのヤツです。

「おわかりいただけただろうか…?」でおなじみのフレーズもこのシリーズ発ですね。

この『ほん呪』自体が、また心霊動画以上に(心霊動画に当りがあるのは100本に1本程度ですけど。)出てくるスタッフや、投稿者そのものの“キチ○イっぷり”を楽しむ内容となっておりまして。フェイクなのはわかってるのに、時折“これはガチじゃないのか!?”と思えるような方もいらっしゃったりしてね。

そんな雰囲気そのままに、面白可笑しくパロディとしてまとめたのが本作というわけですね。

だもんで、おそらく最初から“わかってる人”向けにしか創ってないんでしょう。むしろ、シリーズ4作目まで付いてきちゃったってことは当然わかってるんだろうよ?ということで、最初から飛ばしに飛ばします。トイレの花子さんなんか、まぁ予告編に出てるとおり、大便器からザバーッって飛び出して来ます。

そして、唐突に夜になったり昼になったりタイムリープしたりするトンデモ展開…。

名作『死霊の盆踊り』にも、急に夜になったり昼になったりするシーンがありますが、たぶんアレへのオマージュなのではないかな?と。アレの方は単に“編集上のミス”と言われてますが、本作はドキュメンタリーの撮影中かつカットシーンなしで昼夜が入れ替わるという離れ技をやってのけてるのが本当に凄い。

ただ、“一般的に言う糞みたいな演出”なので、さらに着いて来れるファンを限定して行きます。

しかも、そのタイムリープ展開が、またちゃんと伏線回収して「辻褄をあわせたぞ!」的なドヤ的な感じに落ち着くのでムカつきますね。さらにそこに女子高生同志の友情も絡ませてきてちょっとウルッと来るあたりが「シュタインズゲートかよこのやろう!」となりますが、その直後に大逆転のゴアシーンという素晴らしいオチ。

でも、一番の見どころは、ディレクター&パワハラ&暴力担当の主人公?の工藤。

シリーズを通して、猪突猛進型で、自己中心的で、暴力的で、姑息で、卑怯で、不敬で、人間として最低だけど、案外こういう人がいないと仕事が前に進まなかったりもするような人物像の典型的な工藤。そんな彼の、誰よりも人間らしい人間像を見事に描ききっている、白石監督の手腕は本当に素晴らしい。

さらに、本作ではADの市川(女性)にも注目。ついに彼女もキレる。

ADの女性がいつも汚れ仕事を押し付けられて、酷い目に遭うというのは『ほん呪』シリーズから続くB級ホラードキュメンタリーの伝統みたいなものですが、心霊映像ではなく彼女のキレ方を持って「コワすぎ」のタイトルに適わせてしまうあたりも白石監督の意地悪さがわかります。

正直、心霊映像なんかおまけです。観るべきは人間模様。花子さんの安っぽさ見ればわかりますよね。

また、本作は心霊モノというよりは、もっと大きな宇宙的概念を内風したクトゥルー神話大系にあたるような“コズミックホラー”であると言えます。H・P・ラヴクラフトたちが描く暗黒邪神の世界に、花子さんや河童や口裂け女まで取り込ませてしまった、そんなところに白石監督の狙いはあったのではないのでしょうか。

過去作『ノロイ』、『オカルト』、『シロメ』にも、暗黒神話大系に通じるところは強くありましたからね。

『這いよれ!ニャル子さん』とかのおかげで昨今日本にもクトゥルーブームは来たのですが、上澄みの単語や台詞が流行るレベルで、肝心のコズミックホラーが流行ってるとは全然言えない状態でしたが、白石監督のような正統派フォロワー作家が国内にもいてくれるというだけで、本当にありがたいことですねえ。

『シュガー・ラッシュ』 マリカ丸パクリした中国のレースゲームに似てる
シュガー・ラッシュ

2012年のアメリカ映画。リッチ・ムーア監督作品。

アーケードゲームの世界で悪役キャラクターを演じてきたラルフが、悪役ではなくヒーローになりたいと願って冒険に出るファンタジー・アドベンチャー映画。親がアーケードゲーム関連の仕事してたので、物心ついた時にはゲーセンでレバー握ってた自分にとっては、予想以上に感慨深いお話なのでした。

内容も素晴らしかったけど、エンディングとエンドロールが本当に素晴らしすぎて感涙。

すべてがドット絵(限られたピクセル数や色数といった制約の中、手作業で1ピクセルずつ配置することで描くコンピュータ上における画像の表現方法)で描かれる芸術的な映像。ゲーム好き、デジタル絵好きの方は、是非この芸術的ドット絵ムービーを観るためだけにでも、劇場に足を運んでいただきたいですね。

そんな、古き良き“ゲーム”への畏敬の念が籠った一作なのであります。

以下、ネタバレ含みつつ感想をば。

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本作は、ゲームセンターにあるアーケードゲームの中のキャラクターたちにも、営業時間終了後にはそれぞれの生活があるというファンタジーです。ゲームセンターは風俗営業取締法上は深夜(午前0時 - 日の出)営業が禁止されていますので、その期間が彼らのオフタイムにあたるわけですね。

風営法の取締対象外である24時間営業のボーリング場とかにあるゲームの中の人に休みはないけど。

本作の主人公ラルフは、そんなアーケードゲームの一つ『フィックス・イット・フェリックス』という、『レッキング・クルー』と『クレイジー・クライマー』を足して2で割ったようなゲームの悪役なのですが。悪役であるという点を悩み、“悪役たちのグループセラピー”に参加したりもするわけですが。

そこに参加している『ストリートファイター』シリーズに登場するザンギエフが良いこといいます。

「悪役は悪役でしかないから今の現状を受け入れるべきだ」と。ただ、本来のザンギエフはソビエト連邦出身のプロレスラーで、「祖国のため」とか「祖国の誇りがどーとか」ばかり言う脳筋野郎の筈なので、ちょっと“冷静に悪役としての自分を認識しているキャラ”という設定には違和感があります。

そもそも、ザンギエフが悪役なのか?という点も多くの日本人プレイヤーは疑問を抱くと思われますが。

『ストリートファイターII』を皮きりに北米でも格闘ゲームブームが発生した際、“ガードができない投げ技”を使うことは“チキン行為”いわゆるズルい行為として嫌悪された時期がありました。そこで、スクリューパイルドライバーという投げ技が主戦力となるザンギエフは“性能的にヒール”扱いされていたのです。

日本でも一部のゲーセンで“投げ禁止”とか“ガイルの中足は2回まで”とか張り紙ありましたし。

そんなことはつゆ知らずに、ホームステイ先のサンフランシスコのゲーセンでザンギを使い、北米発売直後で慣れてない対戦相手を投げ殺しまくっていた中学生の自分は、あとから考えると“糞ジャップのチキン野郎”だったわけです。でも、投げへの対策とか広まった後は、別にチキンでもなくなりました。

でも、本作中は主人公のリュウだって、終業後は酒場で飲んだくれてましたけどね。修行は?

話を戻して。ザンギエフの説得にも納得がいかないラルフは、ヒーローの証であるメダルを獲得するために、『ヒーローズ・デューティ』という、名前だけ『コール・オブ・デューティ』の『ギアーズ・オブ・ウォー』みたいなゲームに潜り込むのですが。このゲームに出てくる女軍曹の設定がまた酷い。

「結婚式の日に花婿を虫に食い殺された悲しい過去があるという設定がある」というメタなキャラ設定。

「そういう設定でプログラムされているから」とサラッと流されてるんですが、その設定が故に常に男勝りで口が悪くてでも恋愛フラグ立つとトラウマに苛まれるという、なんて酷い(が萌える)設定考えるんだディズニー!って。所詮、“彼らは全員ただのプログラムにすぎない”っていう達観した感を示すキャラなんですね。

さらに、めんどくさいキャラ設定を持つキャラこそ、本作のヒロインの少女ヴァネロペ。

『マリオカート』というより、それを丸パクリした中国の人気レースゲームに似ている『シュガー・ラッシュ』のキャラである彼女は、“不具合があるキャラ”いわゆるバグキャラ認定され、他の住民から疎まれ、レースへの参加も禁止(バグキャラがいたら筐体が撤去されかねないから)されているというめんどくさい設定。

まるで、初回ポケモンにいる“任天堂も認めない”謎のポケモン「けつばん」じゃないですか。

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そんな彼女がバグキャラ扱いされてるのは、とある陰謀が所以ではあるのですが、彼女は自らの“不具合(ワープ)すら利用”しながら、『シュガー・ラッシュ』に参加し、勝利するわけですが。本来の自分を取り戻したにも関わらず、それを否定し“バグキャラとして生きていく”ことを決める彼女の姿は涙なしには見れません。

“不具合を否定せず、ゲーム性(ゲームの面白さ)として生かす”という考えが、素晴らしいのです。

対戦格闘ゲームでいうバグキャラは、フレームの計算を誤ったことによる永久連続技や即死連続技を持つ“凶悪に強いキャラ”を指して「(存在そのものが)バグ」のように、スラングとして用いられる場合もありますが、それが逆に“強力な個性”として、人気キャラを育ててしまうことがままあります。

ヴァネロペは、自らの不具合を“障害”としてではなく“個性”として魅せる道を選んだのです。

「時々ワープしちゃうバグキャラがいるから筐体撤去されるかも?」というリスクを厭わず、「ワープという裏ワザを持つレースキャラがいるから面白い!」という売り込みにチャレンジし、見事プレイヤーたちもどハマリし、ゲームを大ヒットさせ、自らも人気キャラの座を射止めたわけですね。

かの『スペース・インベーダー』も不具合のおかげでヒットした作品ですしね。

敵の数が減るほど敵の動きが早くなるというのは、製作者が意図しない不具合でした。単純に描画数が少ないほど処理が上がった故なのですが、“敵が追いつめるほど強くなる”という点が絶妙なゲームバランスを生み出したわけです。有名な“名古屋撃ち”も不具合を利用した技で、ゲームの大ヒットの要因となりました。

でも実は、フィックスがハンマーでヴァネロペ殴って、バグ治すんじゃねーかと途中まで思ってました。


『クラウド アトラス』 人物相関図つき
クラウド アトラス

2012年のアメリカ映画。ラナ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー監督作品。

ウォシャウスキー兄弟の性転換話は100万回ぐらい聞いたからスルーして、とりあえず話多すぎ!人多すぎ!で何がなんだかわかんなくなります。要は京極夏彦の『塗仏の宴』みたいに(わかりづらい例え)色んな話が並行して進みつつ、最終的になんか“スッキリ”するアパ体験系映画なのです。

そういう映画なら過去にもありましたが、今回のソレはそれぞれ時代も違うわけですね。

で、一つの時代の登場人物が、また別の時代で生まれ変わって(同じ俳優さんが演じて)行くとゆう、輪廻転生とか永劫回帰とか、仏教的で哲学的で手塚治虫的な感じが素晴らしい作品です。要するに中二臭さとサブカル臭さがたまんねえのは流石ウォシャウスキーの人たちといったところです。

2,3回観に行きたくなるので、マネタイズという意味でもよくできた“循環コンテンツ”ですよ。

とはいえ、ほんと話と人が多くて困るので、海外のサイトで配布してる“人物相関図”を頂戴してまいりました。ていうか、この図観てもぶっちゃけよくわかんねえよって感じなのですが、配布先のサイトの解説が実に秀逸なので、なんとなくですが理解しました。

この画像以下はネタバレ含みますので、初見の大混乱を味わう場合にはご注意ください。



"アダム・ユーイングの太平洋航海誌" (1849)
"ゼデルゲムからの手紙" (1936)
"半減期-ルイサ・レイ 最初の事件" (1973)
"ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練" (2012)
"ソンミ451のオリゾン" (2144)
"ソルーシャの渡しとその後のすべて" (2321)

上記6つの物語で構成される本作。各話に出てくる人物が行動が、次の時代の同じ人物に影響を与えていくという、仏教でいう“因果律”とか“業”のようなテーマが根底にあるようです。善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべしってね。

ていうか、トム・ハンクス浮き沈み激しすぎだろいくらなんでも。

トム・ハンクスに注目して観てみると、1849年に悪徳医師というド底辺から始まり、1936年にはまたケチなホテルフロントとして、1973年には博士としてハル・ベリーといい仲になるという出世。2012年には、自分の小説を酷評した評論家をビルから投げ落として殺す小説家ダーモットにまで悪落ちし…。

あれ?よく考えてみると、別にそれほど“因果応報”を意識した作りにはなってないよね?

ていうか、この2012年の"ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練"が面白すぎて。この話のつづきばっかり気になっちゃって、割と他の話がどーでもよくなっちゃうのが個人的にはバランス悪く感じました。あーもうネオソウルとかいいから、じじい共の“暴力老人ホーム脱出大作戦”を映せッ!!ってなります。

各話のクライマックスが重なる辺りで、一番記憶に残ってるの“じじい共のゲート突破”だもん。

あと「ソンミかわいいよソンミ!」って声が多く出そうなぐらい、あの『空気人形』の女の子も好かったんですが。本作中で一番かわいいのは確実に2012年でアイノーアイノー言ってるちっちゃいおじいちゃんだからね。あのおじいちゃんが、本作の因果律に絡んでないのが不思議なぐらいのかわいさだからね。

てゆか、ソンミの人は予告編みた時までは本気で上野樹里だと思ってました。

でも、一番のつっこみたいのは、ネオソウルのハル・ベリー何だよッ!!闇医者って何だよッ!!ネオソウルの話は『マトリックス』みたいというか、ジャパニメーション(懐かしい)意識した作りになってるのはわかるんだけど、なんか特殊メイクとかアレすぎて完全に『銀魂』みたいなギャグに見えるのはどうなんだろうか。

ソンミの働いてる店とか、完全に『銀魂』に出てくる感じじゃないすか。面白いからいいけど。



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